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2015年7月 3日 (金)

「ライアンの娘」を観に行く

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 『アラビアのロレンス』の風景のおおきさと美しさに沈黙させられたデヴィッド・リーン監督の作品だから観に行ったわけだけれど、良い映画だった。傑作。よいものを観せてもらった。

 『アラビアのロレンス』は第二部でくずれてしまったが、『ライアンの娘』も休憩をはさんでの第二部であやしくなりだしたものの、もちこたえて見ごたえのある映画になっている。ぼくの生涯の映画ベストテンに入れたいくらいの映画だ。よく出来ている。

 アイルランドの海辺の村の娘ロージー(サラ・マイルズ)はかつての学校の先生だったチャールズ(ロバート・ミッチャム)に恋して、あこがれて、求愛するような形で結婚するが、求めて得た生活なのだが、何かどうしても、埋められないものがあると感じている。満ちた静かな気持ちが来ない。結婚生活に落ち着くことができない。

 このサラ・マイルズ演じるロージーという女性は世紀の精神を体現するような女性だと思った。何かを求めてやまない精神。やってきた近代のあけぼのを体現するような、象徴するような人間、女性だと思った。

 そのロージーが出会うのはアイルランドを支配する英国の将校ドリアン少佐(クリストファー・ジョーンズ)。アイルランドの独立運動がつぶされた後、駐留する英国軍の将校だ。のっけからえらくかっこいい。立ち姿がいい。おまけに戦場で負傷して足をひきずって歩く。

 この英国の将校を演じるクリストファー・ジョーンズというのは第二のジェームス・ディーンといわれたアメリカの俳優で、たしかにジェームス・ディーンに似ているなと思わせる。細身のからだで軍服が似合う。

 デヴィッド・リーン監督の撮る、描きだす自然というものは特別なものがあって、美しく鮮烈だ。そこにたしかに大きなものがあるという感じだ。風景というものに格別の関心と感覚をもつ巨匠だと思う。

 厳しい自然を生きる、自然の中を、自然にむかって生きるひとりの人間の内面というのだとデヴィッド・リーン監督の力量と資質が生きるけれども、人間同士の葛藤のドラマというのは不得手のようで映画がちいさくなる。『アラビアのロレンス』の、第二部ではせっかくのすばらしい大きな映像の印象が薄くなってしまうのだが、この『ライアンの娘』でもアイルランド独立運動の闘士たちがからんでくる集団の人間同士のドラマというところはこじんまりした印象になる。しかし原作がいいのだろう(原作はあると思った)、もちこたえて、建て直して作りあげている。調べてみると原作というものは存在してなくてオリジナル脚本というから、すごくしっかりした脚本だ。

 おかげでいい一日になったと思う。こういうことがあると運をかんじるな。

 それで最後はある観念的ともいえるものの象徴ともおもわせたロージーは村を去ることになるのだが、彼女は自分の身の丈にあった現実をつかみとろうとするようにも思える終わりかただ。

 サラ・マイルズ、ロバート・ミッチャム、クリストファー・ジョーンズ、骨太で血のあたたかい神父を演じるトレヴァー・ハワード(『第三の男』にも出ていた)、村のバカを演じるジョン・ミルズもそれぞれ持ち味をだしている。形のいい終わりかただ。

 

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