唐組「透明人間」を観に行く
ここしばらくの唐組の舞台のなかでは強いアクセントというか強い線、強い段落を感じた。これは唐十郎とともに演出を担当している久保井研の新聞でのインタビュー記事のなかで、初演のかたちに戻したのだみたいなことをしゃべっていたので、その印象もあったのかもしれない。
『透明人間』という舞台は何回か観ているように思う。何回か観ているはずだ。
唐組・第55回公演『透明人間』。
作=唐十郎。演出=久保井研+唐十郎。
ところは新宿花園神社。
パンフレットをみていると、演出では唐十郎のまえに久保井研の名前がついている。これは初めて見るような気がする。
前回の公演『紙芝居の絵の町で』のときはいろいろあって自分の集中力が途中で切れてしまい、妙な気持ちで芝居の終わったあとの道を歩いたけれども、今回はそんなことはなくて、いわば身体を楽にして観ることができた。神社と相性がよかったりもするんだろうか。
4時すぎくらいか、受付で前売り券を入場番号の書いてあるちいさな四角い硬紙に替え、神社をでて近くの喫茶店ルノワールに行く。
いつもなら喫茶店にしばらくいたあと、紀伊国屋に行って本をながめたりするんだが、今回はうごく気にならず、ルノワールに一時間以上いた。
受付でもらった『透明人間』のパンフレットのあいだにはさんであったほかの劇団のチラシなどをみて時間をつぶす。それと喫茶店にはいったときだけ読むことに決めてある文庫本をよむ。
麿赤兒の大駱駝艦の舞踏のチラシ、唐組の怪優辻孝彦のほかの劇団への出演のチラシ、天井桟敷系の劇団のチラシなどがある。むかし、あたまをつるつるに剃っている人がいて、インパクトあった。あれは舞踏をやっている人たちだったんだなとおもう。インパクトあったけれど、いまは当たり前になってしまった。しかしあたまを剃る以上にインパクトのあるあたまってあるだろうかと考えたりする。
5時半にルノワールをでて、コンビニでおにぎりとパンを買う。神社で空を見ながら立ち食いをする。
すこし暗くなったころ開場の呼び声がかかる。神社という空間は落ち着く。おれの田舎は寺と神社だらけだった。そのせいもあるのかなあ。
考えてみると唐組の芝居というのはにぎやかな舞台なんだなとおもったりする。つねに人が動き、つねに人がしゃべる。なぜ「透明人間」というタイトルなんだろうということも考えた。
自在なかんじがしてきた役者久保井研がしゃべっている。そして辻孝彦、稲荷卓央、赤松由美、土屋真衣、気田睦、福本雄樹といったいつもの役者陣が立ち動く。職場にこういう人がいたらいじめられそうだなという藤井由紀の最後の水からあがってくるところのまなざしがとても美しく、小さくそそりたっていた。あれはリアリティがでる。
芝居が終わったあと、神社にしばらくいた。そして夜の新宿を帰る。
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