芹沢俊介「子ども問題」
『子どもたちの生と死』につづいて『子ども問題』を読んでいる。
本としてはこの『子ども問題』のほうが早い。1995年に出ている。1990年代前半あたりの論考が多くおさめられている。
子どもたちが被害者になった事件、まだ大人とはいえない少年少女たちの起こした事件。それらから日本の社会への具体的な解き明かしの試みがなされている。
1990年代の社会というのは、戦後というべきなのか、ぼくは80年代からの連続性の強い社会というイメージが強いのだが。
どうもあたらしい今までとはちがうような事件が起こっている。どうしてこういう事件が起きるのか。どうしてこういうことをする少年少女たちがいるのか。その扉をたたこうとしている。
刺激的な分析がなされていて、時代はこうなっていたのかと思うところがある。社会の成り行きが具体的な像として浮かびそうな感じもある。
起こったこと、起こったものごとにそくしながら考えを、見方をまとめていく。そうしてある考えを提示する。起こったことから離れ切らないのが芹沢俊介のいいところだ。この本のいいところだ。
『子ども問題』におさめられている論考のひとつ「鼻の社会政治学ーーある暴力論の試み」は鼻という身体の一部をめぐっての論考で、1982年に書かれていて、いまという時代になってしまっては正直とても読みにくいけれど、このころから身体というものへのひっかかり、関心が芹沢俊介にはじまっていることが分かる。
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