「吉本隆明のメディアを疑え」
吉本隆明の書いたものは手元にあるものだけを読み返すことに決めていて、もう新しく買うことはしないつもりだったが、駅前の古本屋でついこの『吉本隆明のメディアを疑え』を買ってしまったのだ。しかしこれはよい本だった。
いま新聞やテレビとどう接すればいいのだろうと考えていたから、そのことが切実なことだったから、つい無意識に手が伸びてしまったのだろうと思うが、読んでいてやっぱり吉本隆明は別格の思想家だなと思った。すべてに同意するわけではないけれど、とても感心したのだ。
アメリカのアフガニスタンでの戦争についてこれほどきびしく批判しているとは思わなかった。肯定的とはいわないがもっとちがうような言い方をしていたと記憶しているのだが、勘違いかな。読み落としか。このころはもう吉本隆明の書いたものをすべて読むということはしていなかったので、こういう発言をしていたとは思わなかった。
阪神大震災のときの人々や企業のボランティア活動についてふれているところがあって、たとえばダイエーの中内功の対応を高く評価している。
「もうひとつは山口組でさえ食べものや必需品を無料で被災者に配布した。それなのに『ダイエー』は安価ではあっても販ったではないかという非難に、商業体が商品を販るのは当然で、もし商業体が無料で物品を分けたりしたら、市場原理を破り、市民の尊厳を無視することになり、追従するものが多くなったりしたら無秩序を助長することになると答えていた。これもなかなかの見識だとおもった。
どうしてかといえば、わが国の進歩思想は、資本主義以前的なことがあまりにもおおく、とうてい資本主義を超えることはできないとおもえるからだ。」
ここはおもしろいと思った。ずっと読んでくるとここで新しい社会のイメージがかいま見えるように思って興奮した。
ここには社会との新しい関わり方の可能性ということがあるんじゃないか。いま持つことのできない社会への能動性を、社会との新しいリンクの仕方の可能性ということがみえるようで気が高ぶった。
しかし資本主義以後の倫理というのはどういうものになるんだろう。そういうものはあるんだろうか。
ぼくたちを動かすものは、ぼくたちの血と肉と経験とぼくたちの体のなかにあるコトバとつながらなければならない。そうでなければぼくたちを動かすことはできない。思想ではダメなんだ。
2002年の本。いま読んでも充分にきく本。賞味期限内。
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