ソビエトの作曲家として生きたショスタコーヴィチへの取材を基にして書かれたソロモン・ヴォルコフの『ショスタコーヴィチの証言』(水野忠夫訳)を読んだ。
この本を出すために、そのためだけにソロモン・ヴォルコフはアメリカに亡命までしている。共産党の支配するソビエト国内ではショスタコーヴィチが本音を語っているこの本を出すことはできないからだ。
1979年に『ショスタコーヴィチの証言』はアメリカで出版される。そのことのために、ショスタコーヴィチの証言をこの世にあらわすために、じぶんの国を捨てたロシア音楽の研究家ソロモン・ヴォルコフの熱意におどろくし、打たれる。
この本を出すことを認めることの条件としてショスタコーヴィチは自分が死んだあとに出版して欲しいと求めている。臆病さを感じるが、スターリンの時代を生きた人間としてはやむをえないのかもしれない。そういった切実さは当然ぼくにはわからない。1975年にショスタコーヴィチは死に、ソロモン・ヴォルコフはその翌年に出国する。そして1979年、『ショスタコーヴィチの証言』は出版される。約束は守られた。
ショスタコーヴィチの語り口は屈折してまた屈折してまた曲がるとでもいいたい感じで、孤独な面従腹背の世界を生きた人らしいものだ。このどんよりとした感じは現代の日本にも通じる。いまの日本を窮屈な地獄のように語る人もいるが、ショスタコーヴィチの証言もここは地獄だったんだと感じさせる。じっさい地獄の世界だったんだろう。
「スターリンは蜘蛛であり、その巣に近づいてきた者はすべて破滅する運命にあった。だが、自分から進んで蜘蛛の巣に接近し、かわいがられたいと望んだ人々のことは気の毒に思う必要さえない。そのような人々は無実な人間の血でわが身を汚し、秘術をつくしたあげくに、殺されたのだから。」
ショスタコーヴィチの作曲したものをユーチューブですこし聴いてみたが(ほとんど初めて)、構成されている音楽で、物語的で、いくつにも分かれ、おそらく長編小説のようなものなのだろうと思った。水から浮かびあがった泡が、つるつるした泡が、きれいに何もまとっていないといったふうではない。
ショスタコーヴィチによれば、ショスタコーヴィチは交響曲のなかにいろんな自らの思いをこめているのだ。スターリンへの批判も試みている。そして音楽とはそういうもろもろをひきずったものだと語っている。音楽はただ純粋に音楽だけであるのがいいとはおもってないのだ。音楽そのものは非政治だとも反政治だとも考えていない。そこは意外でもあったし面白くも感じた。
「音楽における意味というと、実際、多くの人々にとって、奇異に響くかもしれない。とりわけ西欧の人々にとっては。だが、わが国では本当に、この作者はこの音楽作品で何を言いたかったのだろうか、何を明らかにしたかったのだろうか、と問いかける習慣となっている。」
『ショスタコーヴィチの証言』を終わりちかくまで読みすすめていくと、曲がったり、くねったり、身を隠したり、避けたりしながらも、最後の一線はゆずろうとしないショスタコーヴィチに親近感をもつようになる。ダッキングしながらもまた背筋をのばすショスタコーヴィチに感心したりする。陰鬱なショスタコーヴィチがスターリンの社会を生きのびながらなおも自分というものを手放さなかった、奇跡的な人のようにおもえてくる。ぼくはソルジェニーツィンとはちがう抵抗があったのだと認めてもよいようにおもった。(スターリン賞を何度も受賞したり、レーニン賞も何回ももらい、社会主義労働英雄の称号をもち、死ぬまでありとあらゆる賞をもらいつづけたといえるショスタコーヴィチが抵抗していたとはソルジェニーツィンは思わなかっただろうが)ソロモン・ヴォルコフの編んだ『ショスタコーヴィチの証言』はそうおもうことのできる一冊だ。
人間というものに深い愛をもっていたからショスタコーヴィチは収容所群島を生んだソビエト社会の監視、密告、裏切りの世界に耐えられたのか。そうではないようだ。ショスタコーヴィチはそういうタイプのひとではない。音楽だけが大切であとはどうでもよかったというのでもない。神への愛に我が身をささえていたということでもない。
その深い陰鬱さに、そのほとんどタフといってもいい陰鬱さに、鍵があるような気がする。そこを探って深くもぐっていけばショスタコーヴィチのもっていた「ちから」にたどりつくような気がする。
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