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2015年1月11日 (日)

吉本隆明のテレビ番組を観る

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 きのうの夜やった、NHKのEテレで放送した吉本隆明についての番組を観た。きのうの朝刊をみたとき、観たいとおもったテレビ番組はこれしかなかった。

 新聞をもういちど広げてテレビ欄をみてみると「日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち」という名がついている。シリーズになっていて、ほかには石牟礼道子、手塚治虫、三島由紀夫なんかもあつかうらしい。

 夜の11時にはじまり、12時半に終わるというぼくの完全な睡眠時間帯だったががんばって観た。

 ぼくの知らなかった吉本隆明の写真が何枚もでてきて、ああこういう写真があったんだ、丈夫でデカイ人だったんだなと思った。エラがものすごく張っている顔だ。詩はやっぱりいいなと思った。

 吉本隆明について語る人がよくよく見れば大学の先生がほとんどというのがつらいところだけれど、これはいままでもそうだったし、なぜかそうなんだよな。吉本隆明の硬質な、なんともむずかしい本のせいもあるだろう。

 吉本隆明が幸運だったといえることがひとつあって、それはおそらくは明治からのもんだろうが、「知」をたどりつくべきもの、駆け上がるべきものととらえる時代と<理論化への欲望>という吉本隆明の資質がピタリと重なりあった時代を生きたことだ。これは1970年代に終わっていたかもしれないが、幸運なことだったと思う。「知」を至上のもの、解きあかすべきものとみられていた時代でなければ、あれだけの読者を得ることはできなかったし、あれだけの影響力をもつこともなかっただろう。

 知の神話の時代はおわってしまったし(ぼくはそれはよいことだと思う)、これから吉本隆明が読まれていくのかどうかわからない。読まれなくなっていくこともありうると思う。大学の空間というところでは生きつづけていくのかもしれないが、いっぱんのというか、ふつうの世の中ではどうなっていくんだろう。

 吉本隆明の書いたものは政治の季節が始まればまたおおくの人に読まれることになるだろうとおもったこともあるが、「いちばん高いところにある図書館のいちばん大きな本がもっとも価値のあるものだ」といった価値観がなくなった社会で、吉本隆明の理論へと向かう、体系性を重んじる思想に、本に、人びとが向かう契機を時代はもつだろうか。わからん。どうなるんだろう。

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