表現の自由
きのう、1月14日の毎日新聞の夕刊に襲撃事件を起こされたフランスの『シャルリーエブド』紙の記者会見で、その席にいた風刺画家のルスという人の語ったことばが紹介されている。
「表現の自由とは『しかし』が後に付く(制限付きの)表現の自由ではない」
これは正しい言い方で、ピンとくる。違和感ない。
社会は動き、古典的にひとりの個人の作品の表現の自由という問題だけではなく、個人の表現という輪郭がぼやけていく週刊誌、新聞、テレビ、ラジオの表現といった場合もあるわけで、問題は複雑で面倒にはなっている。なっているとしても、事件のあと、日本のテレビや新聞で語られる「表現の自由」をみていると、これでは表現の自由という思想そのものが成り立たなくなるのではないかと、危惧させるものもあった。気持ちが萎えていって、この事件の記事を読むのがおっくうになっていた。だから、
「表現の自由とは『しかし』が後に付く(制限付きの)表現の自由ではない」
いいですね。さすが当事者というべきか。スッキリしてて美しい。
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