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2015年1月

2015年1月30日 (金)

木村俊介「変人 埴谷雄高の肖像」

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 面白かった。埴谷雄高自身へのインタビューではなく、埴谷雄高とかかわりのあった人たちへのインタビューで、埴谷雄高のヒトと現実の生活が浮かびあがってくる。

 吉祥寺にある埴谷雄高の家の向かいに住む人へのインタビューと住み込み家政婦をやっていた人へのインタビューが決定的に重要かつ貴重で、面白い。これがほかの文芸的な埴谷雄高の本とのはっきりしたちがいになっている。そしてこの、真向かいさんと女中さんの話で埴谷雄高の知られざる暮らしが浮かびあがってくるのだ。ここに注目したインタビュー者木村俊介は秀逸だと思う。

 埴谷雄高の本をはじめて読んだのは、東京に住んでいた叔母の引っ越しを手伝ったとき、本棚に埴谷雄高の『○○と○○』という本があって、ぼくがなんらかの反応をしたのだろう。「読みたければ持っていっていい。返さなくてもいいよ」というような叔母の言葉で、ぼくは持って帰り、読んだのだろう。評論集だったとおもう。さっぱりわからなかったとおもう。面白くもなかったのだ。たぶん全部よむこともないまま、当時几帳面だったぼくは、本を返すために電車に乗って叔母の住むアパートまで本を持って行ったとおもう。

 それがどうしてかなり熱心に埴谷雄高の書いたものを読むことになったのか、その具体的ないきさつははっきりとはもう覚えていない。吉本隆明のものはすごく熱心に読んでいたから、そのからみか。あるいはちがう経路からか。ある時期までは埴谷雄高の本は、書いたものは、手に入るかぎりのものは読んでいたとおもう。

 知り合ってまもない友人がぼくの部屋に遊びに来たとき、ぼくの本棚をみて、前遊びに行った人の部屋もこれと同じ本が並んでいた。これはいったいどういうことなんだ。あなたがたはいったいなんだ。おれはコンプレックスのような疎外感を感じるというようなことを言った。ぼくの本棚には吉本隆明と埴谷雄高の本とそれに関連した本がほとんどだった。他の本はほぼなかった。新しい友人はそのことを言ったのだ。その友人は少し下の世代のひとだった。ぼくはその声に抗議のような響きがあることにおどろきながら聞いたことをおぼえている。

 ここに彫られている埴谷雄高の彫像は十二面体で、埴谷雄高を中心にして円を描くような形で埴谷雄高が語られている。

 前から、後ろから、横から、ななめからというふうに。インタビューした人がひとの話をきくことにとても向いているひとだと思う。しゃべっている人は身体をゆるめて話している。

 いいこというな、というかなかなかすごいこという人なんだなと思ったのが宮田毬栄、山口泉、小島信夫で。宮田毬栄、山口泉というひとはぼくは知らなかった。宮田毬栄というひとは編集者からエッセイストになった人と、山口泉というひとは作家と紹介されている。

2015年1月26日 (月)

近所の風景

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2015年1月23日 (金)

ぶきみで凄かった「ゴーン・ガール」

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 デヴィッド・フィンチャー監督の『ゴーン・ガール』を観に行った。いちばんのおめあては『シン・シティ』だったけれど、3Dではない2D字幕版というのがおそすぎる時間からはじまるので、あきらめて『ゴーン・ガール』にした。

 夫の浮気を目撃したのをきっかけとして、妻の反撃がはじまる。この妻エイミーの考えることがすごい。

 じぶんが失踪し、世間に夫が殺したのではないかと疑いをもたせ、姿を隠しつづけることでほんとうに殺害犯ということにしてしまい、あげく死刑にさえしてしまおうというなんともすさまじい復讐劇で、根本は「あるべき夫の姿を演じようとしなくなった男」を許せない、許さないおんなの話だ。

 演じるのが007映画でピアース・ブロスナンを相手に気品があってエロティックというボンドガールを演じたロザムンド・パイク(最初はミスキャストかと思ったが、決してそうではない。熱演だ)。夫を演じるのがベン・アフレックで、徹底的にいじめられ、痛めつけられる。ベン・アフレックは無防備さ、間の抜けた感じで観る者をイライラさせる。演技なのか、地なのか。演技力でこれほど「アホか。この男は」と思わせるならたいしたもんだ。

 すごいと思うのは、この映画が現在の、現代の家庭や社会に生きる人間の象徴的な物語となりえているところだ。「こうなんだよな、いまは」とか「ちがうもんじゃないな」とか思わざるえない。調べてみたら原作のある映画だったが、デヴィッド・フィンチャーは現在の社会の人間の位置と心のうごきに足をふみいれて作っているといえる。ここは感心した。

 映画が始まる前に座席にすわっていて、いろいろ考えることがあった。

 ぼくは主張したいとおもうのだが、映画を観るということと、映画館で映画を観ているよこで、バリボリとお菓子を食われることとは、本来的に両立しないことなのだ。

 どう考えてもそうで、食い物を抱えて座席にすわる者たちを見て、なぜ映画館で食いものを売るのか、もうおれはこの映画館には来ないと決意した。座席で唇をかみしめながら決意したのだ。そう決意したが、しかし観終わって正直いえば、こういう映画を観せてくれるなら、また来てもいいなとおもった。

 食い物を抱えていた客たちも、なんとも不気味でまともに現実的ともいえるこの映画に、食うことを忘れたみたいで、ほとんど食い物を食べる音がしなかった。場をまちがえてしまったと身体が感じていたのだ。残念だったね。

2015年1月20日 (火)

街で

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2015年1月16日 (金)

笠岡の猫

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 駅の近くの家にいた猫たち。ひとが目の前の道を通ってもまったく気にしない。しっかりと日向ぼっこしていた。

2015年1月15日 (木)

表現の自由

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 きのう、1月14日の毎日新聞の夕刊に襲撃事件を起こされたフランスの『シャルリーエブド』紙の記者会見で、その席にいた風刺画家のルスという人の語ったことばが紹介されている。

 「表現の自由とは『しかし』が後に付く(制限付きの)表現の自由ではない」

 これは正しい言い方で、ピンとくる。違和感ない。

 社会は動き、古典的にひとりの個人の作品の表現の自由という問題だけではなく、個人の表現という輪郭がぼやけていく週刊誌、新聞、テレビ、ラジオの表現といった場合もあるわけで、問題は複雑で面倒にはなっている。なっているとしても、事件のあと、日本のテレビや新聞で語られる「表現の自由」をみていると、これでは表現の自由という思想そのものが成り立たなくなるのではないかと、危惧させるものもあった。気持ちが萎えていって、この事件の記事を読むのがおっくうになっていた。だから、

 「表現の自由とは『しかし』が後に付く(制限付きの)表現の自由ではない」

 いいですね。さすが当事者というべきか。スッキリしてて美しい。

2015年1月12日 (月)

2015笠岡の冬2

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2015年1月11日 (日)

吉本隆明のテレビ番組を観る

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 きのうの夜やった、NHKのEテレで放送した吉本隆明についての番組を観た。きのうの朝刊をみたとき、観たいとおもったテレビ番組はこれしかなかった。

 新聞をもういちど広げてテレビ欄をみてみると「日本人は何をめざしてきたのか 知の巨人たち」という名がついている。シリーズになっていて、ほかには石牟礼道子、手塚治虫、三島由紀夫なんかもあつかうらしい。

 夜の11時にはじまり、12時半に終わるというぼくの完全な睡眠時間帯だったががんばって観た。

 ぼくの知らなかった吉本隆明の写真が何枚もでてきて、ああこういう写真があったんだ、丈夫でデカイ人だったんだなと思った。エラがものすごく張っている顔だ。詩はやっぱりいいなと思った。

 吉本隆明について語る人がよくよく見れば大学の先生がほとんどというのがつらいところだけれど、これはいままでもそうだったし、なぜかそうなんだよな。吉本隆明の硬質な、なんともむずかしい本のせいもあるだろう。

 吉本隆明が幸運だったといえることがひとつあって、それはおそらくは明治からのもんだろうが、「知」をたどりつくべきもの、駆け上がるべきものととらえる時代と<理論化への欲望>という吉本隆明の資質がピタリと重なりあった時代を生きたことだ。これは1970年代に終わっていたかもしれないが、幸運なことだったと思う。「知」を至上のもの、解きあかすべきものとみられていた時代でなければ、あれだけの読者を得ることはできなかったし、あれだけの影響力をもつこともなかっただろう。

 知の神話の時代はおわってしまったし(ぼくはそれはよいことだと思う)、これから吉本隆明が読まれていくのかどうかわからない。読まれなくなっていくこともありうると思う。大学の空間というところでは生きつづけていくのかもしれないが、いっぱんのというか、ふつうの世の中ではどうなっていくんだろう。

 吉本隆明の書いたものは政治の季節が始まればまたおおくの人に読まれることになるだろうとおもったこともあるが、「いちばん高いところにある図書館のいちばん大きな本がもっとも価値のあるものだ」といった価値観がなくなった社会で、吉本隆明の理論へと向かう、体系性を重んじる思想に、本に、人びとが向かう契機を時代はもつだろうか。わからん。どうなるんだろう。

2015年1月 6日 (火)

2015笠岡の冬

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2015年1月 3日 (土)

近所の風景

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2015年1月 1日 (木)

あけましておめでとう

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