レイチェル・カーソン「沈黙の春」
レイチェル・カーソン『沈黙の春』(青樹簗一訳)。
環境保護を訴えている本だということは知っていて、ブックオフの棚で見かけていたし、この本のことを書いている文章は何度か読んだことがある。小林秀雄も書いていたと思う。しかしぼくには抵抗感のようなものがあった。環境保護を訴える思想のなかには反動的というか退行的な考え方が潜んでいるようで、ぼくは生理的な反発心をもっていた。しかしこの『沈黙の春』を読み終わってみると、(ぼくが変わりつつあるということもあるけれど)、レイチェル・カーソンの語る言葉がはいってくる。レイチェル・カーソンの言っていることのほうが正しいような気がしてくるのだ。
「私たちの住んでいる地球は自分たち人間だけのものではないーーこの考えから出発する新しい、夢豊かな、創造的な努力には、≪自分たちの扱っている相手は、生命あるものなのだ≫という認識が終始光りかがやいている。生きている集団、押したり押しもどされたりする力関係、波のうねりのような高まりと引きーーこのような世界を私たちは相手にしている。」
1962年に発行された本だけれども、森や畑にふりまかれる化学薬品というか殺虫剤の恐ろしさに戦慄した。テレビなんかでよく見かけた飛行機をつかって殺虫剤を撒布するあれだ。読んでいていま手元にあるダニ、ノミ用の大きめの缶の殺虫剤のことをすぐ思いだした。
夏に裸で畳に寝ていると、ある一定の時間以上寝ていると背中あたりがかゆくなる。これはノミだろうと思って、畳に注射針のようなものを刺しこんでスプレーすることができる殺虫剤を持っている。90年代の半ばくらいに買って、使いきれないのでずっと持っていて、ごくたまに使っていた。この殺虫剤のことを思いだした。ヤバクなかったんだろうかと思う。
けっして安全だと思いこんで使うようなものではないことを知ると、いろいろ心配になってくる。最近使った風呂場のカビ対策用の煙の出るものは大丈夫だったんだろうかと、気になる。無防備すぎたかもしれない。しかし1962年からはだいぶ時間が経っているわけだし、いろいろ問題になって、メーカーも安全には気をつけるようになっているだろうし、そのへんは考えているだろうから、大丈夫なんだろうと思ったりするのだが。
『沈黙の春』を読みだしてからずっと否定的なことが、物言いがつづくのでこの憂うつな本を最後まで読みつづけることができるだろうかと思った。けれどレイチェル・カーソンの自然というものの見方のなかには、世界との親和的なものがふくまれていて、それにふれてホッとしたのだ。それで読みつづけることができたのだと思う。
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