唐組「紙芝居の絵の町で」を観に行く
『紙芝居の絵の町で』という唐組の芝居ははじめて観る。場所もはじめてのところで猿楽通り特設紅テントとある。御茶ノ水駅橋口改札を出てから10分ほど歩く明治大学10号館のよこの空き地。
前売り券を買っておいたので3時ごろ部屋を出て、お茶の水周辺というあまりよく知らない街を写真を撮りながら歩いて唐組の掘立小屋的受付に着いたのが4時45分くらいだ。番号札は青文字で30番。すこし薄暗くなりだした街をあるいてマクドナルドに行く。
オンボロアパートの一室のような舞台美術というか舞台を背に軽やかに動く役者たちを観ていると、ああこれは唐十郎の夢の中なのかもしれないと思った。
唐突な場面展開、役者の表情の移動ともいうべき変化、そういったものは夢の中だと考えれば話は分かる。自覚的な唐十郎の夢の記述に似たものかと思ったりした。そして唐十郎が強いこだわりをみせる、負から正への転換。マイナスの経験が果実へと変わる、マイナスの記憶が正の宝石へと変わる、キズが美しいタトゥーへと変わる、あれはなんだろうとうすぼんやり考えていた。
あれは深海の息が、深海の呼吸がシャボン玉のように丸い球となって上へ上へとのぼり海上に出たとき丸く輝かしい生きもののようになることへの執着・・・、強い執着・・・というようなことを、舞台を観ながら連想されていたとき、となりに座った客がバックを探りながらガサコソさせたと思ったら何かを口にほおり込んでもぐもぐばりばりさせだした。4、5日前に映画館で『第三の男』を観ていたとき盛大にやられたことを思いだして、ぎょっとしてしまった。
芝居に興味を失ったらしいとなりの客の動きが目の端にはいってしまい、イライラしているうちに糸が切れた、集中力が飛んでしまった。ぼくは怒ってしまったんだろう。なんとか集中を戻そうとしたが、もどったのは本当に芝居の終わり近くになってからだ。したがって『紙芝居の絵の町で』という芝居の感想が統覚的にでてこない。こういうこともあるんだ。あきらめたけど残念だ。映画館でこういうことがあっても驚かないようになってしまったが、唐組の芝居でははじめての経験だ。初めての多い日になってしまった。
テントをでたあとなんかトボトボとあるく帰り道になってしまったのだ。次の公演をたのしみとしよう。
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