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面白いと思ったところを一つ。
「人間の心の動きは、脳ではなく、基本的には内臓の動きにのっとっているんです。これは、解剖学を専門とする医学者の三木成夫(しげお)が明らかにしたことです。」
理屈ではこれはこうなってこうなるから、あっちに行ってもいいんじゃないか、あっちに行こう。と考えたけれども、答えを出したけれども感情がどうしてもついていかないということが最近あったもんだから、なるほどと思ったわけです。
園子温(その・しおん)監督の映画を観るのは『恋の罪』からで二作目になる。
夜の9時からのスタートで11時ごろ終わるということで、ふだん10時半には寝てしまうぼくにはおっくうなところがあったが、それでも観てみようと思った。園子温というひとにはなにか弾んだところ、なにか内部にこだわっているものがありそうな感じだったからだ。
それで『恋の罪』を観たときはもう二度と、すくなくとも映画館に観に来るようなことはないだろうと思ったんだが、やってきた。
『TOKYO TRIBE』(トーキョー・トライブ)。最初は画面すべてを使うぞみたいな、画面に余白をつくらないような、映像をにぎやかに、映像をすみずみまで街の情景と人とで埋め尽くすような、にぎやかで演劇的なところもあった映像に惹かれた。魅力的だった。
それで観終わったあとの感想をいえば、ヤキトリを100本食ったような感じだ。
地のセリフにラップの、ラップにのせたセリフを混ぜるというこころみはある時間までは違和感があったがそのうち無くなった。主人公の空手にすぐれた女の子はかわいかったな。スンミと言ったっけ。
おもえばフランスの修道院僧の暮らしを、生活を、音楽をいっさい使うことなく(使わなかったと思う)、淡々と描いたドキュメンタリー『大いなる沈黙へ』はいけないとおもいつつついコックリとしてしまったが、『TOKYO TRIBE』は睡眠時間帯にはいりつつも、まったくコックリしなかったわけだから、面白かったのかもしれない。すくなくとも画面から目を放させないようなものがあったということだろう。
そういうふうに思います。
あることで悩んでいて、そのコトバが載っている章を読んだ。救われた。ちがう次元の世界にひっぱられたようなすごい体験だった。
そういうわけで頭からこの本を読んでいる。あたまから読みはじめてみるとちがうんじゃないか、そうではないんじゃないかということが出てくる。
たとえば吉本隆明のもつ科学的な領域の専門家、研究者というものへの信頼感の強さというものが理解できないのだ。
「そういうふうに、事故が起きた場合、原因を追究し、多少の危険を冒しても、身をもって確認をするーーそれをほとんど義務というくらいに心得てやるのが技術者であり、専門家なんだ、というのが僕に観念としてあるんです。」
科学技術者の良心を本能のごとくもつことは不思議ではないけれど、科学の技術者、専門家といえども個人として立っているわけではなく、組織の一員としてあるだろうから、ほとんどの人は組織の利害というものを優先させるだろう。そうとしか思えない。今はそうなっているだろうし、この『超「20世紀論」』が発行された2000年ごろだってもちろんそうなっているだろう。ここは納得できなかったなあ。
というような具合だが熱心に読んでいる。
木曜夜9時からやっていたテレビドラマ『ゼロの真実』、けっきょく第一回から最終回まで全部観た。
連続のテレビドラマをずっと観たのはひさしぶりだ。けっこう面白かった。緊迫感もあったし。
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