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2014年7月

2014年7月29日 (火)

吉本隆明+鮎川信夫「対談 文学の戦後」

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 これはひきこまれた。今回が一番いい読み方ができているかもしれない。

 吉本隆明はもちろんそうだが、鮎川信夫も詩だけではなく文学全体を、政治や社会の動きをしっかりと見ながら戦後の社会を歩いているのがわかる。鮎川信夫のもつ常識というか知性というか反観念主義なところが、吉本隆明の<過剰>さと出会うと化学反応的に面白いものになる。

 戦前、戦争、終戦、第一次戦後派、東京裁判のことなどのふたりの話は貴重だ。微妙さが必要なところで微妙に話せている。このふたりの歩んできたプロセスと個性でないとこういう話は出てこないだろう。

 鮎川信夫が占領について言っている。

 「というのは、言論の自由、思想の自由、結社の自由がないといったって、戦争期の経験からいったら問題にならない。作家だって、考えてみれば、戦後になって、たとえば谷崎潤一郎が『細雪』を完成して出した。それから、他の老作家が書いたものを見たって、ああいうものは全部、戦争中だったら絶対に出せないものでしょう。そういうこと一つ取ってみても、同じ言論の自由がないといっても、戦争期になかったのと違うということぐらいは、本当は絶対に言っておかなければいけないと思うのです。どっちもなかったといえばどっちもなかったよ。だからといってイコールじゃない。」

 この対談がおこなわれたのが1979年。それまでに発表されている戦後の小説の中の気に入ったものを挙げている。これはほとんど代表的と思うものを挙げているという意味合いになるだろう。

 吉本隆明【埴谷雄高「死霊」、野間宏「暗い絵」、太宰治「斜陽」、武田泰淳「蝮のすゑ」、大岡昇平「俘虜記」、中野重治「むらぎも」、三島由紀夫「金閣寺」、深沢七郎「楢山節考」、安部公房「砂の女」、島尾敏雄「出発は遂に訪れず」、古井由吉「円陣を組む女たち」、大江健三郎「洪水はわが魂に及び」

 鮎川信夫【大岡昇平「野火」、深沢七郎「楢山節考」、円地文子「女坂」、谷崎潤一郎「瘋癲老人日記」、三島由紀夫「午後の曳航」、大江健三郎「個人的な体験」、高橋和巳「邪宗門」、安部公房「燃えつきた地図」、椎名麟三「懲役人の告発」、吉行淳之介「暗室」、古井由吉「杳子」、島尾敏雄「死の棘」

 吉本隆明と鮎川信夫が挙げているということで読んだ小説が何冊もあるように思うが、どの小説だったのか、そのへんははっきり覚えていない。ひとつひとつ小説名を追っていくとほとんど読んでいる。武田泰淳の「蝮のすゑ」はさがしたけどみつからなかった記憶がある。あと安部公房の「燃えつきた地図」は読まなかったかもしれない。

 吉本隆明は高橋和巳の「邪宗門」をボロクソにいっていたな。インテリの書いた大衆小説とかインテリ向けの大衆小説とか、しかしぼくは面白かった。いまでも持っている。

 

 

 

2014年7月27日 (日)

風景

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2014年7月25日 (金)

「渇き。」

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 『下妻物語』、『告白』を撮った中島哲也監督の最新作。いろんな選択肢があったがこの映画を観に行ったのは、この映画が上映中の日本映画のなかではいちばん<いま>とからんでいるような感じだったから。

 なんともバイオレンスな映画。ゾッとするほどあざやかな殺人事件。移動する色彩。客はあんまり入らないだろう、入りにくいだろう映画を堂々と作る中島哲也監督の勇気には感心する。じっさい客は多くなかったが高校生くらいの観客の割合は高い。何か感じているのだろう。

 大凶のオオモトともいえる役所広司の刑事がなぜこれほど最初から荒れているのか、それがずっと訳が分からなかったが、ドギツクも鮮やかな色彩と歯切れの良さと浮遊感。映画の描写は圧倒的であって、これが今年の日本の映画を代表する作品になるのかと思ったが、観終わってほぼ何も残らない。明日には映画を観たことも忘れてしまいそうな感じだ。しかし何かが残るだろうし、何が残っていくのだろうと思う。

 小松菜奈と清水尋也とオダギリジョーが印象的。

 

2014年7月23日 (水)

モスバーガーで

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2014年7月21日 (月)

麦茶の季節

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 麦茶の季節がやってきた。部屋にいるときはノドをうるおすのに水道水を飲んでいたのだけれど、麦茶に代える。

 去年もこういうタイプの麦茶をつかっていて、夏が過ぎてもかなり残っていて、10月か11月でつかいきったように思う。ともあれ暑い夏がやってきた。いまのところ夏の身体にうまく切り替わっているようで、夜30℃くらいの室温でも眠れている。もちろん窓は開け放して眠っている。

2014年7月17日 (木)

「共同幻想論」を読みかえす

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 吉本隆明の『共同幻想論』を読みかえしている。今のぼくの関心に重なるところを探しながら読んでいる。「禁制論」「憑人論」とはじまり(なんと難しそうなのだろう)「祭儀論」まで読んだところでは、いまのぼくに引っかかるところはなかったが、「母制論」でようやく引っかかる感じがでてきた。つぎの「対幻想論」にもはいっていけそうだ。

 こういうふうに無理矢理に読んでいくような感じはいい読み方とはいえない。しかしぼくのなかには「共同幻想」というコトバ、「対幻想」「個人幻想」というコトバが生きている。ぼくのなかに残ってしまっている。もう一度『共同幻想論』を読んで、修正すべきところは修正したいし、解くことができるところは解きたい。意味もなくこびりついているところははがしたい。

 これまで持っていた単行本の『共同幻想論』は捨ててしまっている。一時は手元に置いてある吉本隆明の本はすべて捨てようと思っていた。これほど長いあいだ人に強い影響を受けるということは決していいことではないのだと思うようになった。

 何十年前かに読んだとき、『共同幻想論』がよく分かったとは思えない。とにかく読んだのだ。この本に書かれていることを理解するということは値打ちのあることなんだ、と思いながら読んだはずだ。そういう時代だった。時代の本だった。

 時代は変わった。ぼくも変わり、今はもうそういう読み方はしない。吉本隆明は理論ということが、理論化するということが好きな表現者だと思う。書き手だと思う。時代の要請ということだけではない。吉本隆明自身がそういう志向を強くもった人だった。

 

2014年7月15日 (火)

アネモスタットと照明

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2014年7月13日 (日)

風景

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2014年7月11日 (金)

「地上(ここ)より永遠(とわ)に」

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 フレッド・ジンネマン監督の1953年の映画。バート・ランカスター、モンゴメリー・クリフト、デボラ・カー、ドナ・リード、フランク・シナトラらが出る。

 いま作られている映画よりも圧倒的にいいと思った。これはどういうことなんだろうと考えた。

2014年7月 9日 (水)

「ひょうたん」53号

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 『ひょうたん』53号ができました。

 ぼくは「ハンカチのあるベランダ」という詩を書いています。

 『ひょうたん』53号に書いているのは、

 君野隆久、岡島弘子、小原宏延、長田典子、小林弘明、森ミキエ、相沢育男、村野美優、中口秀樹、布村浩一、後藤順、絹川早苗、阿蘇豊、水嶋きょうこ、柏木義高、大園由美子です。

 編集/制作は相沢育男。発行所はひょうたん倶楽部。装画は相沢律子。定価400円。

 ブラジルでやっているサッカーのワールドカップ、今回は楽しませてもらっている。ふだんJリーグの試合とかまったく興味がないから、ぼくにもナショナリズムのようなものがあったわけだ。しかし日本代表が敗退したあとでもワールドカップへの関心がおなじようにつづいている。それは世界中の国からその国の代表があつまって試合するというかたちの面白さと試合への選手や監督の真剣さによるだろう。じっさい観ていて面白い。プレーの質がいい。夢中にさせるものがある。

2014年7月 6日 (日)

風景

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2014年7月 3日 (木)

「グランド・ブダペスト・ホテル」を観に行く

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 『春を背負って』は失敗作、『ノア 約束の舟』はいまいちといったところで、深くがっかりしていたけれど、この『グランド・ブダペスト・ホテル』は当たり。快テンポの監督が充分に距離をとりつつもていねいに精魂をこめて作った映画という感じで、観おわって充足感がある。

 すぐ後ろの席に大きなビニール袋に入った菓子と飲み物をもった客がすわったときは『ノア』のときも悩まされたのでぞっとした気持ちになった。こういう映画にもそういうのが来るんだなと思ったが、映画がはじまってしばらくはバリボリ音がしていたがそのうち静かになったので、いちおう心得てはいるんだなとホッとしたのだった。しかし映画が終わって後ろを振り返ると気持ちよさそうに大あくびをしていたので、ただ単に眠っていたから静かだったのかもしれない。30くらいの男だったがいったい何しに映画館に来るんだろう。

 映画館で食べ物を売るのは映画館の経営にとって総合的にみればマイナスだと思う。今日は30人から40人といったところの客にたいしてバリボリやったのは一人だけで、他の客は我慢しているわけだ。ぼくなんかはもう映画館を代えようと思った。シネコンから名画座のような所に行きつけの映画館を代えようかとまじめに考えた。

 『ノア』のときは70人から80人にたいして食べ物を持って入ったのは3~4人だった。他の客は、とくに近くに座った客は我慢するわけだ。こういう目に何度も何度もあった観客のなかには映画館から足が遠のきはじめる人もいるだろう。映画館は得してないと思う。

 せめて大きな硬めのビニール袋に菓子みたいなのを入れるのではなく、柔らかい袋にするとか、菓子もバリボリ音を立てないものにするとか考えたらどうなんだろうと思う。映画そのものに興味がある人、その映画を観たくてやってきた人に標準をあわせないなら、映画館の経営は難しくなるだけだろう。みずから足元を崩すようなことをしているのだ。

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