いい映画にはなかなか当たらない
新聞に載ったインタビュー記事がよくて、そして今も覚えている『ロスト・イン・トランスレーション』の監督でもあったから、ソフィア・コッポラ監督の新作『ブリングリング』を観に行った。
いまの社会が抱えている新しい問題がみえてくるかもしれないと期待をもったが、言ってしまえば凡作だった。新しいものは何もなかった。
アメリカ・ロサンゼルスに住む少女たちと少年ひとりというグループが、有名人たちの動静を、いま家に居るか居ないかという情報をインターネットでしらべる。(これが意外と簡単にわかる)。そして誰もいないあこがれのセレブの家に入り込んで楽しむ。ついでに物もちょっといただく。それがだんだんエスカレートしてセレブ専門の空き巣稼業のようになるというお話。これは実際にあった話。
たぶんソフィア・コッポラ監督は意識的に実際の話からはなれないように気をつけて撮った映画だと思うが、しかし期待は外れた。
新しくないのだ。新しい問題はない。新しい社会の問題は映しだされていない。
こういうバカガキたちは昔からいたわけだ。どこにでも、いつの時代にもいた。そういうガキたちは社会のいちばん新しい風俗にのっかってワルさをしてきた。それが今はインターネットというだけのことだろう。そういうふうにしか観れない。この少年少女たちがこれまでなかった時代のなにかを象徴している、そのことを観せているということにはなっていない。
映像が、映像だけで何かをつたえているというのでもなかった。
ただひとつだけある。空き巣をつづけた少女たちの一人(エマ・ワトソン)が世の中を騒がせた事件としてインタビューを受けているとき最後に言うことにはどきっとしてしまった。これは考えさせられた。『ブリングリング』最後の場面でもある。
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