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2013年12月

2013年12月30日 (月)

火の用心

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 地元でやる火の用心の集まりに参加した。

 要請があったとき思いだしたのが、田舎にいたころ、小学生の時、小学生だけの火の用心をやっていたことだ。大人がひとりか、中学生が一人いて、リーダー役をやっていたと思う。火の用心と声を上げながら夜のまっくらな村をまわり、それが終わるとぼくらは解散場所からじぶんの家に帰ることになるわけだが、解散場所は公会堂のよこで、背には山があり高い林がある。祠(ほこら)もあった。最初は早足で、すこしづつ速くなり、駆け出し、全速力になる。灯りのほとんどない真っ暗な夜の道を、競争で、わくわくしながらしかし恐怖に締めあげられながら、ぼくたちは走りに走って家に帰りつく。そんな火の用心を思いだした。

 あの村の、夜の細い道の、小さな川のにおいのする火の用心を思いだした。

 それでまあこういう集まりにでるのははじめてだけれども面白いかもしれないと思ったわけだ。

 地元の火の用心はふた組、それぞれ7~8人にわかれてこの地区をまわった。ぼくはどうせなら楽しみたいと思ったのでカチンコという木の音を立てるやつをすばやく取って、それで火の用心にでた。

 先頭に立つ人がハンドマイクで「火の用心」と建ち並ぶ建物の窓にむかって声を出し、ぼくがちょんちょんとカチンコをたたき、そして全員で「火の用心」と声を出す。そういう火の用心になった。

 先頭の人と、それに並んで歩く人はあるくのが速い、でかなりの早足でまわることになった。くねくねと曲がりあちこち入り込むが、9時に出発して9時半には終わっていた。しかし意外にくたびれる。ふた組がそろい、全員が集まったところで、最後に酒でも飲むことになるのかとおもっていたが、解散はあっさっりとしていた。こうして東京の「火の用心」はおわった。

2013年12月29日 (日)

風景

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2013年12月28日 (土)

いい映画にはなかなか当たらない

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 新聞に載ったインタビュー記事がよくて、そして今も覚えている『ロスト・イン・トランスレーション』の監督でもあったから、ソフィア・コッポラ監督の新作『ブリングリング』を観に行った。

 いまの社会が抱えている新しい問題がみえてくるかもしれないと期待をもったが、言ってしまえば凡作だった。新しいものは何もなかった。

 アメリカ・ロサンゼルスに住む少女たちと少年ひとりというグループが、有名人たちの動静を、いま家に居るか居ないかという情報をインターネットでしらべる。(これが意外と簡単にわかる)。そして誰もいないあこがれのセレブの家に入り込んで楽しむ。ついでに物もちょっといただく。それがだんだんエスカレートしてセレブ専門の空き巣稼業のようになるというお話。これは実際にあった話。

 たぶんソフィア・コッポラ監督は意識的に実際の話からはなれないように気をつけて撮った映画だと思うが、しかし期待は外れた。

 新しくないのだ。新しい問題はない。新しい社会の問題は映しだされていない。

 こういうバカガキたちは昔からいたわけだ。どこにでも、いつの時代にもいた。そういうガキたちは社会のいちばん新しい風俗にのっかってワルさをしてきた。それが今はインターネットというだけのことだろう。そういうふうにしか観れない。この少年少女たちがこれまでなかった時代のなにかを象徴している、そのことを観せているということにはなっていない。

 映像が、映像だけで何かをつたえているというのでもなかった。

 ただひとつだけある。空き巣をつづけた少女たちの一人(エマ・ワトソン)が世の中を騒がせた事件としてインタビューを受けているとき最後に言うことにはどきっとしてしまった。これは考えさせられた。『ブリングリング』最後の場面でもある。

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2013年12月24日 (火)

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2013年12月20日 (金)

吉本隆明の「七〇年代のアメリカまで」

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 吉本隆明の『大情況論』という本のなかに収められている「七〇年代のアメリカまでーーさまよう不可視の『ビアフラ共和国』」という文章を読んだ。

 抵抗感のようなものをもったところもあるが、とても印象に残るエッセイというか批評だ。この文章はリアルタイムで『マリ・クレール』というファツション雑誌みたいな雑誌で読んでいて、本屋のいつもとはちがう雑誌の置き場所で立ち読みした記憶がある。胸打たれたといってもいい印象を受けたのだと思う。このなかで紹介されているカート・ヴォネガット・ジュニアの「ビアフラーー裏切られた民衆」という本をさがした。1980年代の後半のことだ。「ビアフラーー裏切られた民衆」という本はなく、このタイトルの文が『ヴォネガット、大いに語る』という文庫本に入っていた。いまでも持っている本だ。

 この「七〇年代のアメリカまでーーさまよう不可視の『ビアフラ共和国』」という文章はいつもの吉本隆明とはちょっとちがった印象があって、人間というものの行いにたいしての諦念、ふっと体をゆるめたとき眼差しの下からあらわれる諦念のようなものを感じた。

2013年12月18日 (水)

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2013年12月15日 (日)

「ひょうたん」51号

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 『ひょうたん』51号ができました。

 ぼくは「窓の日」という詩を書いています。

 『ひょうたん』51号に書いているのは、

 長田典子、小原宏延、柏木義高、岡島弘子、中口秀樹、水嶋きょうこ、阿蘇豊、村野美優、布村浩一、絹川早苗、君野隆久、相沢育男、大園由美子です。

 編集・制作は相沢育男。装画は相沢律子。発行所はひょうたん倶楽部。定価400円。

2013年12月11日 (水)

近所の風景

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2013年12月 6日 (金)

阿佐ヶ谷で

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 ラピュタ阿佐ヶ谷で宍戸錠主演の映画『探偵事務所23 銭と女に弱い男』を観た。

 昭和38年つまり1963年につくられた映画だ。いまの時代にもってくればかなり評判になる映画だろうと思った。金をあまりかけていない、かけられなかった、映画会社とすれば本数合わせで作った映画だと思う。しかし宍戸錠らが面白い映画を作ろうと情熱を燃やしてつくったのがわかる。原作があって大藪春彦。そのせいかストーリーがしっかりしている。モダンさと垢ぬけなさが混然一体となったいかにも昭和30年代という映画だ。それと宍戸錠のアクションの身体のキレのよさがすごい。日本のアクションスターのなかでは史上ナンバーワンじゃないかと思った。身体のキレのよさということでいえば、真田広之よりも上だ。

 ちょうど『清須会議』を観たあとなのでよけいに面白く思った。『ザ・マジックアワー』の監督はなにを思ったか、まったくカタシルスのない映画を作ってしまった。もっとも悪がしこい奴が、もっともいい思いをするという、今の社会そのままのストーリーだから愉快ではない。

 戦国武将たちの権力ゲームを突き放してしまうのではなく、徹底的に茶化すのでもなく、いちばんの巨悪の秀吉に寄りそった作りだからスカッとしない。三谷幸喜監督が自分の人間観、社会観、政治観を出したくなったのだということはわかったが。

 阿佐ヶ谷を少し歩く。ぼくが以前住んでいたアパートまで歩こうとする。駅から10分くらいだったはずだ。みつからない。番地の表示が変わったんだろうか。昔と同じようにせまい路地を折れ曲がり折れ曲がりして歩くがみつからない。

 阿佐ヶ谷といえば都心といってもいいはず。しかし駅からのにぎやかな飲み屋の並びが終わると、ちょっと離れただけなのに古い小さな家がごみごみと始まりつづく。それは30年前に住んでいた頃とあまり変わらない。こういう街のあり方が、こういう在り方が東京というもののカタチなんだなあと考えたりした。

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2013年12月 3日 (火)

近所の風景

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