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夜の10時というと寝にはいる時間だが、火曜日は宇多田ヒカルがDJをやって、選曲もやって、構成もやっている『KUMA POWER HOUR』というラジオ番組を聴いた。これはパソコンで聴けるのだ。
どういうわけか知らないが、宇多田ヒカルは熊という生きものを偏愛しているようなので、こういうタイトルになったんだろう。
月1回、第3火曜日にやっていて、先月は勘ちがいをして、木曜よる10時と思いこんで聴き逃してしまったけれど、今月はちゃんと聴いた。
長いあいだ11時半ごろに寝る習慣をもっていた。それがここ1、2年くらいのように思うが、だんだんと早くなって、10時に眠るようになった。それがあたらしい習慣となっている。だからラジオを聴いていると眠気がわく。しかしたまにはおそく寝るのもいいだろうとおもってがんばって聴く。今月はスコットランドのバンドの特集だ。
スコットランドの音楽は弦的という印象だ。知っている曲は一曲もない。しかし聴きやすい。入りやすい。弦の鳴っているような気持ちよさがあって、はいっていける。5、6曲聴き入った曲があった。
やまもとあつこの詩集『ぐーらん ぐー』。言葉の質そのものにつよく惹かれた。
「軽い」のだがそれは作りあげた軽さというよりもやまもとあつこの肩の力がよく抜け、ひじの力がよく抜け、指先の力がよく抜けていることからくる、やまもとあつこの体自身からつたわってくるような「そのままさ」で、だからその「軽さ」には透明感と開かれた空気があるのだ。
いろいろあるにしても、あったにしても自分の資質を決定的には曲げられることはなく、曲げることもなくなんとか生きてきたのだなと想像する。そういうこのひとの自転車に乗っている姿を思い浮かべた。
行と行のよく開いている明るさをもつこの詩集を読めてうれしい。
もうジョージ・オーウェルの書いたものは全部読んでしまったと思っていたら、本屋でこの『パリ・ロンドン放浪記』(小野寺健訳)をみつけてすぐ買った。
ジョージ・オーウェルは外国の書き手としてはソルジェニーツィンと並んで惹かれた人物だ。ぼくにとっては思想家としてある。カントからフーコーまでの西洋の哲学者、思想家たちに関心を持ち続けることはできなかったが、ジョージ・オーウェルは追いかけて、さがして読んだ。
『1984年』は強烈だったのだ。
ケン・ローチ監督の映画『大地と自由』も日本で上映されたときはオーウェルの『カタロニア讃歌』が原作に近いような感じで紹介されていて観に行ったりした。
この『パリ・ロンドン放浪記』はジョージ・オーウェルの最初に出した本らしい。1928年ころの話だからオーウェル25才くらいの時か。イギリス人オーウェルのパリでの職探しやまさに最下層の労働者生活といえるホテルでの皿洗いなどの体験記。
この高級ホテルの皿洗いというのがすさまじい仕事で、超過重労働そのもの。苛酷だ。いまの先進国の人間でこういう仕事ができる者はいないだろう。
それからパリを離れイギリスに帰ったオーウェルは当てにしていた仕事がなくなったりで、安宿を転々とするうちにホームレス生活に落ちる。その体験記がロンドン編。
当時のロンドンでは浮浪者を規制するいろんな法律があって、結果として浮浪者たちはベンチや道路の端などに座ってはならず、つねに動いていなければならなくなった。座ってしまうと警官に逮捕されてしまうのだ。妙な法律群だがあったらしい。事実上のホームレス追い払い政策だ。お前らここにいるな、何処かに行けというわけだ。したがって浮浪者たちはじぶんらを泊めてくれる宿泊所を求めて放浪することになる。歩きまわることになる。
この『パリ・ロンドン放浪記』にはあれほど強く感じさせるジョージ・オーウェルの<私>がまだ出てきていない。芯を感じさせない。だから物足りないのだ。本棚に入りきらず、ダイニングキッチンの床に平積みにされている本の山をみて、捨てようかとも一瞬おもったが、ジョージ・オーウェルの第一歩ではあるのだし、オーウェルの書いたものだからと考えて、置いておくことにした。
たしかに第一歩なのだ。オーウェルはこの最底辺の体験を忘れ去るべきもの、思い出したくもないものとは考えていないのだ。道を曲がってもう一度もどってくるつもりなのだ。もっとも貧しい暮らしを、そこに生きるひとびとを、もっとも貧しくみじめな人たちの暮らしの世界をもっと知ろうとする。最後に書くのだ。
「これが出発点なのである。」
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