枝豆ジョニー
いつも食べている88円の絹豆腐の味が落ちたようなので、ためしに買ってみたのが「枝豆ジョニー」。うまい。2個入りで178円。量が少ないので高く感じるがうまい。醤油はいらない。そのまま食べるのがおいしい。
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いつも食べている88円の絹豆腐の味が落ちたようなので、ためしに買ってみたのが「枝豆ジョニー」。うまい。2個入りで178円。量が少ないので高く感じるがうまい。醤油はいらない。そのまま食べるのがおいしい。
辺見庸の新しいエッセイ集。短さというか、長さがちょうどいい。新聞に連載したものだからこの長さになったようだ。
表紙のカバーの写真が秀逸。離して見るとハッとするような感じだ。
辺見庸という私(ワタクシ)から浮かびあがるうすい光をたよりにして、路地をクネクネと歩くふう。文学的なエッセイ集だ。もともと粘った独特の屈折のある人だけれど、その不可思議な屈折を外にはっきり出しているというか、行がそのように引かれているというか。辺見庸は「思う」を「おもう」と書くのは何故だろうと思ったりする。
「脳の病にたおれた」と書かれていて、病の結果自分の身体が不自由になったことがそのことが辺見庸のコトバの角度を視点を大きく変えている。ローアングルアンドズームの視線だ。日々の出来事を注意深く拾い反すうする。読む者に「強い人だなあ」とひるませるようなところは相変わらずあるが、「弱い者」の視線も初めて感じる。右半分が充分に使えなくなって、そのことは日々刻々耐えなければならないことだろうが、それによって得た感情や視線というものがあるわけだ。
宮崎駿の最新作アニメ。この時期にこういう映画をつくるということはどういう考えがあってのことなんだろうと思わずにいられない映画。
宮崎駿の最新作となれば映画館で観たいと思う。あまり混まないだろう平日の休みの日に出かけて行った。
『風立ちぬ』。
ゼロ戦というのは太平洋戦争の初期か中期か、そのころ世界最高の性能をもつといわれた日本の戦闘機で、そのことはぼくの知識のなかにもある。その設計者が堀越二郎という人だ。その人と『風立ちぬ』という小説を書いた作家堀辰雄を合わせて作りあげたのが宮崎駿の最新作『風立ちぬ』の主人公「堀越二郎」だ。
戦争へと向かう昭和の戦前の時代に戦闘機の設計に打ち込む人物を描こうというのだから、宮崎駿はどういうことを考えているのだろうと思わせることになる。
『風立ちぬ』の主人公堀越二郎は「美しいかたち」にひかれる男だ。その「美しさ」を戦闘機にもとめて設計に打ちこむ。これはぼくは最初、社会にこれから出て働こうとする者へのメッセージかと思った。「汚れた場所でも生きねばならぬし、生きていくのだ」といったような、また今働いている者へのメッセージでもあるだろうと考えた。
つぎにぼくは、これは原発に働く者、原発を設計する者へのメッセージではないかと思った。害を生むものであれ、そのなかで生きるしかない我々なのだから、そのなかに良いものを求めて夢を描いていかなければならないというような。なにか吉本隆明みたいなこというんだなと思ったりした。宮崎駿にすれば転向だなと考えたりもした。
最後に、これは「現実とかかわって生きろ」という宮崎駿の、映画そのものから立ちあがってくる声として受けとるべきだと思った。「現実とまじわって生きろ」「現実とからめ」。そういうことだろう。ぼくの思いはここに落ち着いた。
ぼくはこのメッセージを肯定的に受けとる。
しかしストレートアニメーションとでもいうべきか。ものすごく硬い映画だ。ファンタジーと観れるのは最後の場面だけだったように思う。こういう映画を宮崎駿は作ったんだな。
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