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岡林信康が2005年に出した本だけれど、読んでいてまだ岡林信康のなかで動いているものがあると感じた。それでユーチューブでさがして「エンヤトット」を聴いたりしている。コンサートも90年代にいちど行ったきり、それっきりだが、また聴いてみたくなった。
スーパーマーケットの前にいた。
当日行けないこともなかったと思うが、あわただしくなるのがいやで、期日前投票というのを初めてやった。
たかが一票だけれども、重要な選挙になるだろうという思いがあって、「正解」をさがしてずいぶん考えた。
候補者個人を選ぶ選挙の方はまあこの人でいいだろうという人にしたが、比例の方は迷った。はっきりした自信のないまま投票した。
ある時期までまったく選挙に行かなかった。ある時期から必ず選挙に行くようになった。おれも社会の一員なのだという意識をもちたかったのだと思う。そういう時期がかなり続いたが、いまはそういう思いも薄れた。ただこの選挙が日本の分水嶺のような思いもあって、けっこうこだわって投票した。ゆるやかな住みよい社会であって欲しいというのがぼくの願いだ。
『ひょうたん』50号ができました。ぼくは「十字路の奥の医院に行く」という詩を書いています。
50号に書いているのは、
水野るり子、後藤順、岡島弘子、君野隆久、大園由美子、長田典子、柏木義高、村野美優、布村浩一、絹川早苗、小林弘明、小原宏延、森ミキエ、中口秀樹、阿蘇豊、水嶋きょうこ、相沢育男です。ほかにプレシラ・ベッカーの詩の翻訳が載っています。
それとお知らせですが、水野るり子さんが50号を最後に、『ひょうたん』を退会されることになりました。
発行所はひょうたん倶楽部。編集・制作は相沢育男。装画は相沢育男+律子。定価400円。
いつも唐組の紅テントで観ている唐十郎の戯曲を蜷川幸雄が手がけるとどうなるのだろうか、という思いで観に行った。暑い日だった。
『盲導犬』。
唐十郎作、蜷川幸雄演出。古田新太、宮沢りえ、小出恵介、大林素子、木場勝己らが出演。場所はシアターコクーン。
蜷川幸雄の演出は松たか子がジャンヌ・ダルクをやった『ひばり』以来。宮沢りえは『ジプシー』という舞台を観に行ったことがある。新宿だったかな、宮沢りえ最初の舞台だったかもしれない。ジプシーというロゴのはいっているTシャツを買ったのを覚えている。古田新太を舞台で観るのは初めて。
黒い床の奥にコインロッカーがいっぱいにズラリと並んでいる舞台美術がシンプルで鮮やか。対比という印象。蜷川幸雄の舞台を観に来たんだなという思いがする。
足の長い婦人警官が出てきて、グラビアタレントの誰かが舞台に進出かと思っていたら、バレーボールの大林素子だったのにはびっくり。ふつうに足のきれいな舞台女優という感じだった。
前半は古田新太の存在感が広がる。歌がいい。テントで聴いた誰よりも歌がいいと思った。古田新太という役者はそのままテントに出ても違和感がない感じだ。
物語は黒い床といっぱいのコインロッカーの前で繰り広げられる。ファキイルという「不服従の犬」と呼ばれる盲導犬が探されている。
だんだんと宮沢りえの赤いドレスの身体が匂い立ってくる。エロティックというか身体の匂いの広がりというか、身体からなにかがこぼれでてくるような感じだ。宮沢りえがいちばん唐十郎の世界からよく逸脱出来ているという感じだ。
蜷川版『盲導犬』にはテントで観ている芝居を立派な劇場で観るとこうなるのかという魅力的な場面がいくつもあった。いくつもあったが、唐十郎の作とカチリと噛み合っているという感じは正直なかった。合わないのかなあとも思った。ほかの人はどう思ったのだろうと注目していたが、どうなのだろう、どうだったのだろう。カーテンコールで熱い拍手がつづいたが、よくつかめない。
観に行ってよかったとも思う。古田新太という役者には好感をもった。このままでは唐組の芝居と『ラ・マンチャの男』以外の芝居を観に行かなくなるのではないかと自分で心配していたところだ。なにか新しい関心の芽のようなものがでてくるだろうか。
渋谷はひさしぶりだった。ものすごく暑い日だった。そしていつものように人がいっぱいだ。
横山徹也さんの個人誌『ADAMSITE(アダムサイト)』24号に、「風景」という詩を書きました。
24号にはゲストとしてぼくのほかに北沢十一さんも登場です。
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