唐組「鉛の兵隊」を観に行く
唐組の『鉛の兵隊』を観に行った。新作ではなく8年ぶりの上演とある。
今回は当日券を買うのではなく、前売り券を買って行った。当日券だとどうしても早く行って買わなきゃいけないから(4時くらいには買っていた)、開場の6時半までの時間の過ごし方に悩むことになる。当日券で遅く買うと、席が(畳の上に直にあぐらをかくことになるのだが)後ろの方になってしまうのだ。
というわけで5時すぎ頃か、5時15分くらいだな、前売り券を受付に渡して、番号札に替えてもらう。そして花園神社の石段に腰掛けながら、コンビニで買ったおにぎりとパンを食べる。パンがうまかったな、メロンパンともうひとつ、それがうまかった。
新宿にくるのは3カ月ぶりくらいか、初夏の花園神社。ここはいつも思うが不思議な場所だ。新宿の雑踏のすぐよこに静かで時間のゆったりと動く場所がある。
唐組・第51回公演『鉛の兵隊』 作・唐十郎 演出・唐十郎+久保井研。
長めの芝居だった。10分の休みをはさんで2時間10分の公演と説明があったが、2時間半ちかくあっただろう。例によって、内容は、話のスジはよくたどれない。どうなっているのだろうと思うのだが、唐十郎はセリフをたどっても芝居のスジは分からないように作っているのだと思う。「声」と「声」を上昇気流に乗せ、はばたかせ重なり合わせてある場所にたどり着こうとしている。そういう書き方をしているようだ。要するにおれは芝居を「体験」すればいいのだろうとかんがえる。
夜の新宿の神社のなかのテントにすわって、摩訶不思議な芝居を観ていた。薄暗いロッカーを三つ置いた事務所のような所に、男が現れ、女が現れ、謎に満ちた会話が交わされる。登場人物たちはどこかに行こうとしている。ここではないどこかへ。やがて塩をいっぱいに入れたおおきな箱車があらわれ、そしてしかるべきのちここから唐十郎が突如として出てくるのが習わしのようなものなのだが、唐十郎は現れない。久保井研が出てきた。
岩戸秀年は身体の上半身をめいっぱい使って、ちょうど身体の中心線を使うようにして発声してるんだなとか、稲荷卓央はもっと柔らかくどこに力をいれているのかわからないような発声の仕方をするんだなとか思いながら観ていた。
そして訳が分からないまま夜の新宿のなかのテントで想像の迷路をたどっていたわれわれ観客は物語の出口へと引きずられていく。
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