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2012年11月 8日 (木)

ヴィスコンティの「山猫」

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 ヴィスコンティの『山猫』を観た。充実した作品だった。

 名画のなかの名画とイメージしていたフェリーニの『甘い生活』が生命力をなくしていると感じたあとだったので、うしれい気持ちだ。

 イタリアの統一をめぐる戦争の時代を背景に、シチリアの大貴族サリーナ公爵(バート・ランカスター)の社会が変わろうとするときの葛藤を内的な軸とした映画だ。

 いちばん強い印象をあたえるのは貴族たちの夜会のシーンだ。これは貴族でもあったヴィスコンティがこだわった場面だろう。衣装や食器、家の装飾、壁にかかっている絵など、おそらく徹底的に調べてできるかぎり同じものをそろえようとしたのだろう。踊りもそうだ。こういうふうに踊っていたのだろうと思う。

 戦争の時代を扱った大河映画ともいえるがヴィスコンティがなによりも撮りたいと心の底で思っていたのはこの大舞踏会の場面じゃなかったのかと思う。圧巻の場面だ。

 古い過去の世代と自覚するサリーナ公爵と対照的に描かれるのが新しい時代を泳ごうとする公爵の甥タンクレディ(アラン・ドロン)。そして貴族になりたがっている成り金の娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)だ。

 はっきりいってバート・ランカスターの演技もアラン・ドロンやクラウディア・カルディナーレの存在感もたいしたものではない。たいしたものなのはヴィスコンティの撮る場面場面の構図だ。これは何度もうなった。ヴィスコンティの執着と力を観た。大貴族サリーナ公爵の滅びいくものとしての立ち姿はヴィスコンティの立ち姿でもあるだろう。

 ヴィスコンティは『地獄に堕ちた勇者ども』とか思いだすが、代表作はこれかもしれない。ヴィスコンティの充実している一作だ。

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