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夏のあいだやめていたが、やっとコーヒーを淹れる気になった。
もう夜の風は涼しくなって、季節は夏の終わりに向かって走りだしている感じだ。今年も長い夏だった。7月の中旬くらいからずっと熱帯夜だった。よくもったと思う。
いわゆるエンターテイメントらしくないエンターテイメントなのに驚いた。いまどきこんなまじめな映画を作る人がいるんだなと思った。監督は西川美和。原案、脚本も西川美和。
夫婦でやっていた飲み屋が火事で焼けた。新しい店をもとうと亭主(阿部サダヲ)は働くがダメだ。長続きしない。つぎに金をもっていそうな女に近づき金を巻き上げるということを思いつく。これならできるかもしれない。女房(松たか子)の方が金のありそうな女をみつけ、亭主にアドバイスをしながら夫婦共同の結婚サギを成功させていく。
ハリウッド映画が市場調査をした会社の映画という印象が残るのに対し、これは個人のにおいのする映画だ。音楽の付け方がいい。『ダークナイト ライジング』のやかましいほどの音楽の付け方には閉口したが、『夢売るふたり』にはそれはない。押しつけがましくない。
店をもつためには結婚サギをやるしかない、ほかの手段を思いつけない二人だが、当然良心の痛みに心はすさんでいく。ふたりの心は殺伐としていく。この夫婦の情景のうつろいが、男と女をかこむ都会の情景が、西川美和監督の撮りたいものだったろうと思う。情景の細やかさとその粘り強い展開が西川美和の特徴だと思った。
いちばん印象に残っている場面は坂だったと思うが、夜の坂。自転車に乗った阿部サダヲがすこしづつ姿をあらわしてくる場面のところ。この坂の場面が目に残っている。それと阿部サダヲが娼婦を自転車の後ろに乗せて走る場面。結婚サギ男と娼婦の会話が面白く弾んでなごませる。
『夢売るふたり』はヒットするんだろうか。いろんな国で多くの観客を得ようとする映画作りが力を持ち続けるのだろうが、映像で表現することに強い衝動をもつ人間がそこにいるという映画の基本的なかたちが失われたら、映画も映画産業も滅んでいくと思う。長い射程で考えればそうなる。西川美和にまた映画を作る機会がくればいいと思った。
国立駅南口にあるギャラリービブリオでやっている「林静一現代美人画展・読む」を観に行った。
ギャラリーは木造の家を改装したもので感じとしては台東区根岸にある正岡子規の子規庵に似ている。場所の分かりにくさも似ていて、絵を観ているあいだ場所の問い合わせの電話が何本も受け付けにかかってきていた。
赤色エレジーは特別な漫画だ。「体験した漫画」だ。その赤色エレジーのころの絵といまの林静一の絵がちがっていることに新鮮なおどろきを覚えた。「赤色エレジーのころと絵がちがってますね。」とギャラリービブリオのひとに思わず話しかけてしまった。
考えてみれば40年くらいの時間が経っているわけだから、ちがっていて当たり前だ。しかし並べられている林静一のいまの絵を観たとき、そのことに新鮮なショックを受けたのだ。
『季刊 詩的現代』(詩的現代の会)2号に「同人誌にはいるまで」というエッセイを書きました。2号でやっている特集<同人誌を考える>のなかのものです。
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