「ひょうたん」46号合評会
飯田橋駅
合評会をやった喫茶店
『ひょうたん』46号の合評会を飯田橋でやった。参加人数は6人。少なめの人数だったけれど、遠くから参加するために東京にやってきてくれた人もいた。くつろいだ感じでできたし、それぞれの発言時間も十分につくることができたと思う。
暑い日だった。いつもの喫茶店での合評会。場所取りも早々にできたし、いい場所を取れた。『ひょうたん』のこれからについても話すことができたのは収穫だった。
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飯田橋駅
合評会をやった喫茶店
『ひょうたん』46号の合評会を飯田橋でやった。参加人数は6人。少なめの人数だったけれど、遠くから参加するために東京にやってきてくれた人もいた。くつろいだ感じでできたし、それぞれの発言時間も十分につくることができたと思う。
暑い日だった。いつもの喫茶店での合評会。場所取りも早々にできたし、いい場所を取れた。『ひょうたん』のこれからについても話すことができたのは収穫だった。
タバコをやめて1年になる。まったく吸わなかった。腹いっぱい食べたあとは吸いたくなるが、抑えられる。唯一のぜいたくのようにも思っていたが、このままやめることになるだろう。
昭島の道。
細かい雨が降っている。
かなり動揺したといえる。ミクシィのニュースで吉本隆明の死を知り、グーグルのニュースで確認し、「吉本隆明が死んだ」と思ったとき、胸の緊張が、鼓動が強くなった。これに似ているのは母が死んだときで、もちろん深度はちがうがそれに似た胸の緊張だった。
親族でもないし、交流があったわけでもない。ただ読者だったというだけで、こういう感情、<関係>をもつのはやはり妙なことだとは思う。そうは思った。
勁草書房の吉本隆明全著作集の定本詩集をひっぱりだし、「黙契」を朗読し、ノートに吉本隆明の死を記し、喫茶店に行って、定本詩集と小林秀雄の批評を交互に読んだりした。
そのへんでようやく落ち着いた。
吉本隆明と会って話すような機会があれば、そういう機会がもてれば、このこだわりをあっさりと、思いがけないような方角から解けることがあるかもしれないとは考えていた。しかしそういう機会はなかった。
70年代にはいって1、2年経って吉本隆明の書くものを読んだのだと思う。当時ぼくの出会った人たちのなかで吉本隆明の評判はよくなかった。その「わるくちの言い方」のなかにひっかかるものがあったのだ。それが吉本隆明の書いたものを読もうと思ったきっかけだったと思う。
吉本隆明の詩に出会う。「エリアンの手記と詩」、「固有時との対話」、「転位のための十篇」といった詩はぼくをひきつけた。そして吉本隆明の評論、思想書を読みだした。だんだん徐々に、あるときからは徹底的に吉本隆明の書いたものを読むことになった。吉本隆明の書いたものばかり読んでいた時期もある。
どこか「一か所に集中しすぎているな」という感じは自分のなかにもあって、ほかの読むべき書き手をさがしていた時期もある。70年代半ばから後半、埴谷雄高、三島由紀夫、辻邦夫と熱心に読んだが、もの足りなかった。吉本隆明の代わりになるような書き手をみつけることができなかった。
やがてぼくにとって親しい季節だったといえる70年代は終わり、80年代がやってくる。1978年ごろが社会の変わり目だったと思っている。70年代はうつむきながらも自分をみる目も社会をみる目もちゃんとしていた。ちゃんととらえていたと思う。
80年代は孤独だった。じりじりと坂道をすべり落ちていくような焦りがあった。吉本隆明に違和感や反発をもつことも出てきた。だが吉本隆明という思想者の存在はぼくの生を支えてくれるものでもあった。
90年代にはいって、吉本隆明に対面する角度のようなものを変えようとしはじめる。じぶんを変えたかった。じぶんがポケットのなかに入れているものを全部外に出してみたかった。ほとんど哲学や思想というものへの関心をなくしていったが、じぶんがどこにいるかの手がかりは欲しかった。数少ないが関心のもてる書き手のものはさがして読んでいた。このときも吉本隆明はやはりいちばん信頼できる書き手だったのだ。
心のなかにあるものがだんだんと形をとってことばになろうとする。生のあるべき形をとろうとして、からだが動きねじれ、からだ全体の動きをとりもどそうとする。
「おれは誰の考えで生きているんだろう。おれの考え出したことで、おれの考えたことで生きているんだろうか」ということをつぶやく日がやってくる。
こう明瞭にコトバにするまでには長い長い過程があった。流れ落ちひっかかった場所でとらえかえすじぶんの生というものがあった。夜の過程が見え、闇の過程が見え、明け方の過程が見え、朝の過程が見える。そういう時間が見つめる川に光ったり、陰ったりした。
現実のなかでみずみずしく生きていく流れ、考えというものは、じぶんから出てきたもの、じぶんの心と体と経験を通過したものでなければだめだろう。ちゃんと動いていかないのだ。じぶんも自分を囲む現実も動かない。言葉のための言葉はじぶんの中だけを流れて、抵抗も共鳴もまわりに生みださないだろう。
ぼくにとってあきらかに吉本隆明の影響は大きすぎ、間合いが近すぎ、おれの考えたことではなく、吉本隆明の考えたことを、自分が考えたように誤解してるんじゃないかと思った。
自分というものを土台にしよう。じぶんの体験とじぶんの知識で、じぶんの体によって、じぶんの感覚によって、感じ、考え、判断していきたい。生きていきたい。
こう書く日がきたのだ。
それは凡庸で小さいものになるだろう。しかし、それは現実のなかで、現実を動かしていくこころだ。それはじぶんと現実が噛みあい、自分の考えたことの動きが抵抗と共鳴を生みだす思想だ。
曇り。強い風が吹くらしい。
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