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2012年3月16日 (金)

「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」を読んでいる

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 今いちばん関心のある表現者は藤原新也。古本屋やブックオフ、ふつうの本屋でとまだ読んでいないものをみつけると、文庫本でも単行本でもかまわず買う。

 エッセイ集『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』(東京書籍)はエッセイによってすこし出来不出来があったりするが、いいものは胸がじーんとくるような、遠くへ連れていかれるような、窓ガラスの向こうをずっとながめているような気持ちにさせられる。

 ふつう物書きは思ったことを文章にするわけだが、藤原新也は行動したことを文章にすることが多い。文学の世界からするとアウトサイドにいる人で、「重要な通行人」というコトバが浮かんできたことがある。「日本のランボーだな」と思った。

 自意識の太い線を失わなかった人だと思う。ぼくらは、ぼくらのほとんどは自意識の太い線を失ってしまう。それは切れる。切れて、切れ切れになる。藤原新也はその太い線をずっと引いてきた人で、きついだろうと思うが、しんどいだろうと思うが、そのことによってじぶんの心の中の物語をうしなわずに済んでいるのだ。彼の中にはずっと引き続いているものがあるのだ。67歳か68歳になってもその生活が光彩を放っているのはそのためだ。することがしたいことが次々に浮かぶというのはじぶんの中の物語が終わっていないからだ。

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