朝の空
曇り。寒い。
きのうは8時ごろ寝てしまい、起きたのが朝の5時ごろ。真っ暗だった。
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曇り。寒い。
きのうは8時ごろ寝てしまい、起きたのが朝の5時ごろ。真っ暗だった。
よしもとばななの『Q健康って?』(幻冬舎)読み終わった。
健康のプロフェッショナルというか、ひとの身体を治したり、扱ったりして食べているひとたちとの対談本。
4人の身体の専門家に聞いているが、ぼくは二人めの対談になる「Q2」の「瞬間瞬間の自由」が面白かった。そのひとに宿っているような、「定形化してある妄想」をたどることによって、その人の「身体」の悪いところを探しあてて治療するということが新鮮で面白かった。スジも通っているように思った。
あとは「Q3」の「今の自分のままでも大丈夫?」の対談者の人は考え方の折り目がいいというか、考え方の姿勢がいいという印象だ。
対談ではなく、4人との対談のほかに「るなさん」という人の「奇跡の中で生きている」と名付けられている「がん闘病記」があるが、これはヘビーだった。量的にはこれが一番ながく、印象も強い。
切なくてつらい壮絶な闘病記で、どういう医師や病院にかかるかで自分の命が助かったり助からなかったりするのはなんとも不条理だと思うが、そういうことになってしまっているのだろう。自分がもしこういう病気になってしまったら、こういう体験をすることになるんだなと分かるような闘病記でもある。
るなさんという女性はおそろしく前向きに病気に立ち向かっていく人で、頑張りすぎじゃないかなと何度も思ったが(頑張るしかない状況ではあるが)、こういう真っすぐな人だからこそ、周りのひとたちがこの人を応援しようとするんだろう。この人のもっている資質が、人に向かって開こうとする生き方がいい出会いをつくりだしているともいえる。
闘病記というものが平気な人もいるだろうが、ぼくは駄目で、少しづつしか読みすすめられなかった。「重いなあ」とため息もついたが、読み終わったときの浄化力はすごかった。この人の起こした風が吹いてくるようだった。
最後に整体師の片山洋次郎が「あとがき」にあたるような文章を書いていて、「るなさんの闘病記」について「再生」という言葉をつかっていた。なるほどなあと思った。
「るなさん」のこの浄化力は何だろうと思ったけれど、それは「再生しようとしている人」のもつ、広い大きなところから吹いてくる風のようなものだったと気づく。
テレビで『ザ・マジックアワー』をやっているのを観て、「ああ、あれは面白い映画だったな」と思いだして観る気になった三谷幸喜監督の最新作『ステキな金縛り』。
妻殺しの容疑で捕まった男。ほぼその男が犯人にまちがいないと思われたが、男は無実を訴えていた。男がいうには事件が起きた時刻にはある場所で金縛りにあっていたため動くことができなかったから、人を殺すなんてことができるわけがないというのだった。
ある場所とは山奥にある古い旅館。金縛りにあっていたのは戦国時代の成仏できないでいる武士の幽霊にのしかかられていたためだった・・・というコメディ。
実在する幽霊に西田敏行。裁判所で幽霊に証言させようと奮闘する弁護士に深津絵里。
腹の底から何度も笑った。こういう笑える映画は滅多にないなと座席のなかで思った。そのことだけでも貴重だ。
9時半ころ部屋を出て、電車の中でゆっくりしながら、劇場のある銀座についたのが11時くらい。3階の劇場ルテアトル銀座に行ったが、ここで開場の12時まで待つのはつらそうなので、外に出て歩く。ドトールがあった。
開演前、薄暗い舞台の中央奥に椅子があって、だんだん目が慣れてくると人がむこう向きに座っているようにもみえる。まったく身じろぎしない。あれは松本幸四郎がすわっているんじゃないかと思っていたら、そうだった。まったく動かなかった。
ピーター・シェファー作『アマデウス』。これは何度も観に行った『ラ・マンチャの男』を思い出させるようなしっかりした芯のある舞台なんだと分かった。第2幕でサリエリ(松本幸四郎)がモーツァルト(武田真治)を殺すことを考え、自分ではなくモーツァルトを<選んだ>神への敵意を口にしたとき、厚みのあるこの芝居の骨組みがみえたように思った。
神に愛され選ばれた男ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。その才能に激しく嫉妬し、足を引っ張ろうとする宮廷作曲家アントニオ・サリエリ。90年代にこの芝居を観ていたら、どうなっただろう。どう思っただろう。気づくことがあっただろうか。
これは「松本幸四郎の『アマデウス』」といってもいい芝居で、ほとんど出ずっぱりのサリエリを演じる松本幸四郎の演技は豊かに影をもっていて、やっぱりすごい役者だなと思った。それと全然期待していなかったモーツァルト役の武田真治が意外にも適役で、これも観に行ってよかったと思ったことのひとつだ。なぜかというとNHKのある番組で見た武田真治の印象がひどく悪くて、ずっと嫌いなタレントだったからだ。見直すことができてよかった。
晴れ。
雲の動きというか、形が面白い。
「ひょうたん」45号ができました。
ぼくは「七月」という詩を書いています。後藤順さんが新しく同人になっています。
「ひょうたん」45号に書いているのは、
後藤順、大園由美子、柏木義高、水野るり子、相沢正一郎、絹川早苗、中口秀樹、水嶋きょうこ、小原宏延、村野美優、布村浩一、小林弘明、岡島弘子、阿蘇豊、森ミキエ、相沢育男、長田典子です。
編集は相沢育男。装画は相沢育男+律子。発行所はひょうたん倶楽部。定価400円です。
きのうの夜観たテレビ東京のテレビドラマ『張込み』がよかった。印象に残っている。
「広がりのある方向」をみつめている女の視線でドラマが終わったのがよかった。ほかのドラマとのちがいを決定づけているのはこの視線だ。「広がりのある方向」への視線というものには、今の世の中あんまり出会えないのだ。
思いがけぬ収穫だった。しばらくぼーっとしていた。こういうドラマにテレビで出会うことができてうれしい。若村麻由美がさっぱりしたいい女を演じて、好演だった。
阿賀猥(あが・わい)さんが自身の本『NEKOHIME(猫姫)』(発行iga/発売星雲社)と2009年に亡くなった奥村真さんの追悼本とでもいうべき『ぬらり神 奥村真と2つの詩集』(発行iga/発売星雲社)の2冊を送ってくれた。
「2つの詩集」というのは『ぬらり神』のなかに「神の庭」と「ぬらり」という二つの詩集がはいっている造りになっているからだ。
奥村真さんとは会って親しく話すということはなかったけれど、何だかなつかしい感じのするひとで、こうやって追悼本のようなものが出ると、うれしい。
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