「刑事ジョン・ブック/目撃者」を観にいく
いつも行っている映画館に「午前十時の映画祭」という企画上映があって、複数あるスクリーンのうちのひとつで10時から昔の評判のよかった映画を上映している。
観にいこうかと思うことはあったが、10時からの上映というのは休みの日の朝のゆっくりした時間を奪ってしまうことになるので、二の足を踏んでいた。しかしいまは夏休み。一日くらいは朝を駄目にしてもいい。やっている映画は『刑事ジョン・ブック/目撃者』。
驚いたのはテレビで観たのと全然ちがうということだ。1985年の映画で、テレビで2、3回観ていて、そのたびにいい映画だなあ、面白いなあと思っていたが、それでも全然ちがう。映像のもっているゆったりとしたテンポというのはテレビでは感じることはできない。詩情とサスペンスの合体という妙といえば妙な位置にある映画を、サスペンスだけの映画にしてしまっている。「詩情」の部分をカットしている。
5、6歳のある少年が混雑した駅のトイレのなかで殺人を目撃する。少年は大きな帽子をかぶった変わった恰好をしている。少年はアーミッシュの少年だった。
アーミッシュというのはテレビも電話ももたない昔のままの暮らしをしている宗教的な集団。アメリカのなかの古い自分たちだけの暮らしを守っている人々だ。車は使わない。馬車を使う。家と家のつながりの強い村を、共同体をつくって生きている。まったくアメリカの現代都市文明とはちがう生活をしている人たちだ。
刑事が恐るべき犯人たちから少年を守ろうとするサスペンス。アメリカの現代文明とそこに属そうとしないアーミッシュの、頑固で古く、しかし昔ながらの温かさをもつ生活。それが『刑事ジョン・ブック/目撃者』のなかにあるテーマだ。二つのテーマが並んである。監督はピーター・ウィアー。
アーミッシュの村の情景が美しい。村の共同作業の情景が美しい。映像の力に息がとまりそうだ。人びとの笑顔。からだ全体からあふれる喜び。最初観たときはアーミッシュに反発を感じていた。いまはその反発はぼくのなかで消えている。
少年の母親(ケリー・マクギリス)と村に身をかくすことになった刑事ジョン・ブック(ハリソン・フォード)のロマンスが物語に深い陰影をつくっている。村で生活していくことはできない男と村から出ていくことのできない女の出会い。どんなに機械的な社会であれ、焦燥感につきまとわれる世の中であれ、男はそこに帰るしかない。女はここに残るしかない。こんなに余韻の強くのこる映画もめずらしい。
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