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2011年5月 1日 (日)

唐組「ひやりん児」を観にいく

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 新宿花園神社でやっている唐組の『ひやりん児(こ)』(作・演出 唐十郎)を観に行った。

 楽しかった。まえ唐組の芝居を観に行ったのが、1年くらい前だから、このぐらいのペースがいいのかもしれない。

 開場が6時半でその前にトイレに行っておこうと花園神社のトイレの戸を開けると唐十郎が立っていてびっくりした。唐十郎をあんなに近くでみるのはあれが最初で最後だろうなとちょっと感動した。やっぱりぼくにとって唐十郎というのは伝説的人物なんだなと思う。

 唐十郎の芝居というのはすじ的にはわかったことがない。今度もなんとなくひっぱり込まれて感動させられたような感じだ。

 舞台にリヤカー式の大きな水槽を引っぱって出てきた男がいる。尾加良(おから)という青年。豆腐を売っているのだ。水槽のなかには一個だけ豆腐が浮かんでいる。

 唐十郎の芝居は「夢」を追いかけ、探しつづけているともとれる。その夢というのは<構造的な夢>で、もしつかまえることができたら、何かが、とても重要ななにかが一挙に解決するかもしれない。そんな宝石のような夢だ。その夢を追いかける主人公とサスペンス的に邪魔をする謎の男。立ちふさがる者。応援する者。理解する者。そんな連中が舞台を右と左に分かれ、入れ替わり、また入れ替わり、一斉に走り回る。そんな感じだ。

 その夢のことを舞台を観ながらなんとなく思っていた。

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