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2011年5月15日 (日)

東日本大震災

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 東京に住んでいたわけだからその後の生活が一変するような被害ではなかったわけだけれど、東日本大震災というのは大きな出来事だったのだなとこのごろあらためて思う。

 というのは詩誌をもらって礼状を書くときにしらずしらず大震災のことにふれていたということがつづけてあって、そのとき自分のなかをみると無意識の層をもった大きな体験として、「東日本大震災」というものがあってしまっているのだと思った。

 地震そのものが東京にきてからいちばん大きなものだったということがあるし、その後も3月11日ほどのことはないが地震がよくある。そして以前よりも地震の揺れというものに対してギョッとする。

 東北のほうの避難したままになっている被災にあった人たちのことをずっと報道で知りつづけていること、原発事故の影響の大きさ、原発事故が起きた場合のリスクの大きさに、これも報道で驚きつづけているということもある。

 阪神・淡路大震災のときは、日本の社会はそれでも日常のなかに「阪神・淡路大震災」というものを飲みこんだけれども、今度はどうだろう。飲みこみきることはできずに日本人の体験した大きな事として、「東日本大震災」というのはじんわりと無意識的にこれからのぼくたちの社会の方向に影響をあたえるんじゃないかと思う。

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