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2011年3月

2011年3月30日 (水)

朝の空

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 弱く晴れているという感じ。

 昨日の夜はテレビを消して、グレン・グールドの「ゴールドベルク変奏曲」を聴いた。

 前は仕事が終わって、家に帰るとテレビは点けっぱなしだったが、このごろはときどき消す。見ていると苦痛になることがある。気が緩まないのだ。

2011年3月27日 (日)

中野真吾「もう一度『はみだしっ子』を読む」

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  短歌の雑誌『掌』(掌の会)の106号を読んでいたら、中野真吾という人が三原順の漫画について書いた「もう一度『はみだしっ子』を読む」が載っていて、意外な感じもあって最後まで読んでみた。

 おどろくのは、漫画についてこんなにまじめな深い思いで読みこんでいく人がいるんだなということだ。

 ぼくなんかは漫画というものに対してこういった読み方はしたことがないんじゃないかと思う。いま手元に置いている白土三平や水木しげるの漫画について、こういう読み方はしたことがない。つげ義春の漫画を読んだときも、こういう思考を深めていくような読み方はしなかった。林静一もそうだ。そういう読み方でいい漫画だったということがあるが。

 中野真吾という人に、これを書かせたのは、ひとつには三原順という作家が特異な存在なためだろう。そして他の世代とは違った、中野真吾の世代の独特な漫画にたいする接近感というものがあるだろう。

 「はみだしっ子」は読んだことはないが、三原順という名は知っていた。「エックス・デー」という漫画を探して読んだことがある。この漫画家が気にはなったが、読者にはならなかった。

 中野真吾は「はみだしっ子」にでてくるグレアム、アンジー、サーニン、マックスという4人の(少年と少女なんだろうと思ったが、4人とも少年らしい)登場人物について、かれらの出会った物語にそって思考をめぐらす。中心にいるグレアムの行動と思考を追いかけ、4人の少年たちのそれぞれのつながりのことを考える。

 ここにあるのは「心だけの世界」のように思う。今はぼくはこのことに親和感だけをもつわけにはいかない。でも「心だけの世界」をもっともリアルに感じていた時代はあった。中野真吾にとって「心だけの世界」をリアルに感じていた時代に出会ったものが「はみだしっ子」だったということなんだろうと思う。

 「はみだしっ子」のストーリーを知りはじめて、これはたいへんな漫画なのかもしれないと思ったりする。

 「心だけの世界」の住人であるグレアムたちにたいして、「心だけの世界」の外部に住む法の人フランクファーターが登場させられていることを知るときそう思う。

 「心だけの世界」の住人たちがいちばん恐れる人間がフランクファーターだろう。「フランクファーターはいやだ!」というグレアムの叫びがよく響く。

 心理と倫理のゲームのようにも思えるこのまだ読まない漫画のことを中野真吾は考えさせてくれた。もしかしてある場ではこういう形の漫画評論はよく書かれているのかもしれないが、中野真吾には「はみだしっ子」を読んだことの体験が強く保たれている。

 

2011年3月23日 (水)

朝の空

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 晴れとも曇りともいえない空。

 晴れそうな感じはあるが。

2011年3月21日 (月)

小林秀雄「文学」

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 昭和13年創元社から発行の『文学』。創元選書とある。初期の批評集。いいものもあるがつまらないものもある。

 読んでいて、ここでの小林秀雄は論客であり、理論家的という書き方が多い。いままで読んできたようなゆるく読める体勢というものはもっていない。言葉が早すぎる。

 昭和13年だから昔の文字、書体が使われていて、漢字が多く、その漢字が角ばった感じで、よけいに難しい印象のものになっている。

 それでも「現代詩について」「志賀直哉論」なんかは小林秀雄らしい思考がみえて、読んでいてえんぴつで線を引いてしまうところが結構ある。

 読み終わって体がひろがっていくような感じはないけれど、常に社会というものに関心をもっていた批評家の「今」にふれたということもできる。

2011年3月20日 (日)

「ひょうたん」合評会中止

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 「ひょうたん」43号の合評会が中止になった。交通事情などから同人が集まれないだろうという判断での中止。考えてみれば確かにそうだけど残念。

 詩を書いている人と顔を合わせて話をするということが、ほとんどというか、滅多にないので楽しみにしていた。

 食べ物がスーパーマーケットに行っても少ししか残っていないというのが困る。欲しい物がない。あちこちの空になった棚をみながら歩いていると心理的に焦る。懐中電灯と乾電池はどこにいってもないな。

2011年3月17日 (木)

初停電

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 ぼくの住む地域の計画停電は夜の6時20分から10時まで。一応の準備はした。やかんに水をいっぱい入れ、ペットボトル2本にも水をいれる。そのうちの一本をテーブルの上に置く。テーブルの上にはほかに灯り用の携帯。照明は必要最小限にしてあとは消す。

 パソコンは切って、ケーブルをコンセントから抜いた。エアコンも停める。ダイニングキッチンの照明とテレビは点けたままにする。

 そして待つが停電にはならない。ならば松原隆一郎の『日本経済論』でも読むかと思い、ふむふむと読んでいると、突然バッと切れた。真っ暗。6時45分。

 すこし落ちついてくる。思いついて窓のカーテンを開ける。すると夜の空の明かりで部屋の中がうすぼんやりとみえる。これでホッとした。

 テレビのコードをコンセントから抜き、照明のスイッチも切にしておく。(まわりの家の灯りで停電の終わりに気づくはずだ)

 ベランダに出てたばこを吸ったあと、整体の呼吸法をやる。そのまま活元運動をやってみる。どうせすることもないとそのままひとり活元に突入する。これが意外にいい。闇夜に整体の活元運動はむいている。

 たまに水をちょびっと飲んだり、たばこを吸いにベランダにでたりして、あとは整体をやる。立ったまま、正座でもやってみる。物音ひとつしないような街のなかでやる整体はいい。まるで舞踏のような活元運動になったりする。

 なかなか頭が空っぽにならない男だが、それに近い状態をすこし体験できたように思う。

 8時45分復電する。2時間。

 停電の長さに閉口した思いもあるし、2時間整体にまったく熱中できたというわけでもないが、これはこれでそれなりの体験だったように思う。闇の中の活元運動はいけると分かった。

 ほかに水道がとまっていたため、水を使おうとすると赤さびの水がかなり出ることがわかった。おかげで風呂に入るのをあきらめなければならなかった。こういうことは充分に知っていたことのはずなのに、いざとなると忘れている。

 ほかには家の中では携帯の灯りでいいが、家の外に出るようなときはやはり懐中電灯が必要だ。あとトイレは小の場合はいいとして、大は停電前にこれはやっておいたほうがいいだろう。水は流れないわけだから。

 

2011年3月16日 (水)

計画停電

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 「計画停電」への対応は難しい。停電がおこなわれた場合も、そうでない場合も。

 しかし当然ちゃんと電気が供給されたほうが助かる。

 
 経済のことはあまり分からないというか分かっていなくて、それで松原隆一郎の『日本経済論』(NHK出版新書)という本を読んでいる。

 日本の経済についての、ある程度のイメージが欲しかった。

 読んですぐわかるのは松原隆一郎の文章が速いこと。松原隆一郎のホームページを前読んだことがあって、いっぱいの文章が載っていたと思うから、インターネットに文章を発表することに慣れている影響がでているのではないかと思ったが、読んでいくうちに、慣れてきたのか、文章が落ちついてきたのか、気にならなくなった。

2011年3月13日 (日)

朝の空

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 晴れ。

 仕事の予定だったが、休みになった。

 おとといの地震は何度も揺れがくる地震だった。

 すごい地震だとは思ったが、帰ってテレビを見て、東北・関東の被害が分かってびっくりした。

 携帯はまったく通じなかった。

2011年3月10日 (木)

朝の空

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 晴れ。

 ペットボトルのごみ出しに行った。

 今日は洗濯だ。

2011年3月 3日 (木)

図書カード到着

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 地デジ用のテレビを買ったときに付いたエコポイントが15000点あって(地デジ用テレビに付いているエコポイントとそれまで使っていたブラウン管のテレビを渡したときに付いたエコポイントの合計だったと思う)、それを図書カード15000円分と交換した。

 新刊本が結構買える。

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