大晦日
晴れ。
街はふだんどおり。ベランダから富士山がみえる。
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晴れ。
街はふだんどおり。ベランダから富士山がみえる。
今年最後のペットボトルとビンのごみ出し。
晴れ。
冬晴れ。
齋藤恵美子さんの詩集『最後の椅子』(思潮社)を読んでいるとき、強い幸福感のようなものを感じた。
昼のダイニングキッチンであかるい光りのなかで、この詩集を読んでいるとき、その感情がやってきた。
まだ全部読んでいないが、『最後の椅子』はたぶん、老人介護施設、養護施設のような施設のなかの、老人たちの醜態、動態といったものを、その一人ひとりの有り様を、ゆったりとしたのびやかな語り口、リズムで、徹底的に肯定的なまなざしで書いた詩集で、どうしてそんな幸福感がやってきたのか分からないが、つよい満ちた感情だったので記しておきたい。
朝焼けが美しい。
晴れ。
晴れるとホッとする。
曇り。寒い。
ペットボトルのごみ出しに行った。
雨。
雲だけの空。
コンサートといっても会場の横浜アリーナのチケットは手に入らなかったので、生中継をやる映画館に観に行った。
「今しばらくおまちください」という開演前の画像の奥から会場のざわめきが伝わってきて、ワクワクする。
宇多田ヒカル登場。これはやっぱり映画館の生中継ではなく、コンサート会場にいきたかったなと思ったが、仕方ない。
宇多田ヒカルというのは大人の女のひとなんだなと思った。公式サイトの日記をよく読んでいたから、弾むような、天衣無縫にちかい人というイメージがあったけれど、そうではなかった。
コンサートのなかで、歌のなかで打ち出してくる宇多田ヒカルの<私>が、浮かびでてくる宇多田ヒカルの<私>が、素敵だ。
コンサート会場から遠くはなれて同時進行で映像でみるというのは不思議な感じで、興奮しつつも、まったく自分のペースで観ている。
かっこいいし、観ながら、聴きながら宇多田ヒカルは日本の社会のなかの貴重な表現者なんだなということが分かった。コンサート会場にいたら、きっと何かを<体験>できただろう。
7時から開演ということで、モスバーガーとケンタッキーフライドチキンをはしごしたりして時間がくるのを待った。帰りはなじみのない街の駅までけっこう歩いて寒かったが、よい一日だったといえる。誰にとっても決定的になにかが起こるということはなくなってしまったが、それでもよい一日だった。
宇多田ヒカルが帰ってくるのか、来ないのか分からないけれど、そのときぼくがまた聴きたくなるのかどうかも分からないけれど、常に動向が気になる人のひとりになったことは確かだ。
晴れ。
寄贈しようと思って読み返していた2002年発行の渡辺洋さんの『少年日記』(書肆山田)。社会のシステムをとらえている、とらえようとした詩集だった。最初読んだとき、そういう読み方をしたんだろうか。
自分を表出するという面からこの詩集を読んだだろうから、気づかなかったかもしれない。
晴れ。
『龍馬伝』終了。黒木和雄監督の『竜馬暗殺』以来の魅力ある龍馬像だった。
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