「ハリー・ポッターと死の秘宝」
やっぱり読みたくって『ハリー・ポッターと死の秘宝』を買った。考えれば第一巻からずっと読んできたのだ。
読み始めれば夢中になる。『ハリー・ポッターと死の秘宝』が第七巻目で最終巻。発行日をみると2008年の7月となっている。こんなに前に出ていたんだな。
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やっぱり読みたくって『ハリー・ポッターと死の秘宝』を買った。考えれば第一巻からずっと読んできたのだ。
読み始めれば夢中になる。『ハリー・ポッターと死の秘宝』が第七巻目で最終巻。発行日をみると2008年の7月となっている。こんなに前に出ていたんだな。
曇り。燃えるゴミを出しにいく。
日曜日に同人誌『ひょうたん』の合評会に参加した。集まったのは10人。
作品だけだと作品が優れているか、いないか、ということに目がいってしまうが、会って、その人の表情をみながら話を聞いていると、その人の考え方、感覚、個性といったものに目がいく。この人はどうしてこういう作品を書いたのだろうと考える。
そうしたことはぼくにとって新鮮で、有意義なことだった。
また参加したいと思う。
水木しげるの『ねぼけ人生』(ちくま文庫)を読んだ。
水木しげるは向日性の面白い人で、滅入っていた心が、読んでいるうちに晴れていった。
こういう本をもっと本棚に並べなきゃいかんな。
曇り。雨が降りそうだ。
ずいぶん長い時間がかかったが『本居宣長(上)』(新潮文庫)読み終わった。漢文などはほとんど分からないものもあるが、腑に落ちるというか、腹に響いてくるような文章があって、(下)も読みたい。それに手にはいる小林秀雄のものはこの『本居宣長』以外は全部読んでしまったようだ。
銀座にあるギャラリー枝香庵に石井一男展を観に行く。
有楽町の駅を降りるとすごい人混みで、銀座ってこんなに人が集まる所だったんだろうかと思う。
石井一男はテレビ『情熱大陸』で観た印象が鮮烈で、無防備に絵を観ることができるんだろうか、とそのことを考えていたが、絵はぼくの先入観とはちがっていて、やわらかい絵だった。観る者との間合いをゆるやかに取る絵で、そのことにショックを受けた。
何点かの「女神」があってそのなかの一つに心ひかれたが、小さな画廊で、ずっと観ているわけにもいかない。石井一男という画家にぼくは「孤独」というイメージをもっていたが、切り立ったものよりもやわらかさを強く感じさせる絵だった。仏像のようだと思ったし、観る者との境界をこの画家は独特のやり方で、何度も何度も塗って塗って埋めて、消してしまっているんだろうかとも思った。
駅に向かう。なじみのない大きな街でぼくが何も考えずにはいれるところといったら本屋しかない。もう少しこの街にいようと思って本屋の方に歩いた。
自転車置き場。雨が降っている。
ひさしぶりの休み。今日は晴れそうだ。
藤原章生の『絵はがきにされた少年』(集英社)を読んでいる。
これはいい本だ。自分の感受性から出発しないと、人は変わることも展開していくこともできない。
雨の日に『悪人』(李相日監督)を観に行く。
キレやすいタイプの建物の解体の現場仕事をしている男(妻夫木聡)と紳士服の店で働いている女(深津絵里)の話。
ふたりの年齢は妻夫木聡の実際の年齢29歳と深津絵里の37歳、そういうふうに観ていいのだと思う。
いちおう若い男と若いとはいえない女。ふたりが出会うまでと出会い、また別れていくまでの物語。
リアルな表現の映画で、まったく等身大の男と女の生活が、日常の立ち振る舞い、暮らしの風景が描かれていて、それがこの映画のいいところだと思う。いちばんの魅力だ。
怒りのあまり付き合っていた女を殺してしまった男と決まったことしか起こらない生活のなかで年をとってきた女が出会う。出会い系のサイトで知り合ったのだ。毎日の暮らしから踏み出してみたかった一人ぼっちのふたりはやっと同じような気持ちをもつ相手にめぐり合うが、男はもう人を殺してしまったあとだった。
印象的なのは妻夫木聡の演じる男の「目」だ。つめたい目をすることがある。自分でやってみる。視線を下に向けてから横の相手を見る。警戒心が強いのだ。そういう人間関係を生きてきた男なのだ。
警察から逃げようとする男は女と短い旅をしたあと、警察に自首しようとする。警察署に向かって歩く。しかし女は警察署の前に立った男を呼びもどす。自首をやめさせても男との旅をつづけようとする。じぶんの孤独をはじめて癒した関係のために男を呼びもどす。
ここで第二幕となる。これでいいんだと思う。深津絵里の女はあまりにも優しく寛大で、こんな女がいるんだろうかと思っていたところだ。深津絵里が自分の、女としての欲を出すことによって映画にのびがでてくる。
逃げて灯台のある誰も住まない小屋で過ごすふたり。長いあいだ孤独だった女と男が海のそばで光と影をからみ合わせる。
追う刑事たちがふたりの居場所をつきとめる。捕まる寸前、妻夫木聡は女を事件から遠ざけるために、自分の逃亡を助けたことを世間や警察に知らせないためにわざと女の首を絞めているところを刑事たちに見せる。
そして男は女のために救いようのない犯罪者ということになってしまう。というふうにしか観えないのだが、当然女は男の深い愛を感じて、心の底に男の存在を受けとめながら、それからの生をいきていく、ということになるはずなんだが、深津絵里は本当に男が自分を殺そうとしたと思っているように映画は描く。そういう人間もいるということか。男がどういうつもりだったかは観客の判断にまかせるということだろうか、しかしここはあんまりうまく作られていない。観ていて燃焼できない。
よかったのは妻夫木聡と深津絵里のそれぞれの暮らしの情景だ。とくに妻夫木聡の解体作業員の暮らしの風景はまったくリアルで、出会いを待つしかなかった男の日々というものが伝わってくる。
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