街の風景
大学通りにある自転車置き場。少し雨が降っている。
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大学通りにある自転車置き場。少し雨が降っている。
今年は夏バテをかわせるだろう、とそう思えていたんだが、ここ2週間ほどの暑さでわからなくなった。
それまでは寝る前に、寝る部屋を冷やすために、そのときだけエアコンをつかっていた。今はそれはやめて、風の通りやすいように窓を開けるだけにした。
水分をちょびちょびと取って、しっかりと汗をかく。そういう身体が夏を乗りきるにはいいように思う。家にいるときはこんなふうにやっている。さてどうなるか。
自転車で通っているとここの緑というか、森のような緑にハッとすることがある。
スウェーデン映画『ぼくのエリ 200歳の少女』(トーマス・アルフレッドソン監督)を観に行った。
ヴァンパイアの12歳の少女エリと非ヴァンパイアというか普通の12歳の少年オスカーの恋・友情・異種間交流の物語。
陰鬱な街にどこからともなく現れた少女エリ、父親とおぼしき男とふたりで、オスカーのとなりの部屋を借りた。
母親とふたり暮らしのオスカーはいじめられっ子だ。学校で同級生らにからかわれいじめられている。そのことは母親には言えない。しかし引っ越してきたエリには出会って間もないのに言えた。たぶん初めていじめられていることを打ちあけることのできた相手なのだ。
何もないような北の寒い街。男たちは鈍重でグチってばかりいる。この雪の積もった街で奇妙な殺人事件が連続して起きる。殺された者たちは何故か血を抜きとられている。
雪の木の映像が美しい。驚くのは北欧の街の室内の装飾のなさというか殺伐さだ。実際にあんなふうなんだろうか。
遠足の日、エリにやりかえせ、逃げてはいけないと教えられたオスカーが、氷の張った湖でいじめっ子をたたきのめすシーンがすばらしい。喝采したくなった。ここが映画『ぼくのエリ 200歳の少女』の頂点のひとつだ。
エリは200年も生きてきたヴァンパイア。そして12歳のまま年を取ることのできないヴァンパイアだ。深い孤独。耐えられない悲しみ、それを12歳のオスカーはなんとなく分かってしまう。理解する。初恋の映画というよりは、共感の映画だ。
エリに血を吸われた中年女がだんだん様子がおかしくなり、神経質になり、猫に襲われ、ついには朝の光をあびて、燃え上がってしまうのをみて、この映画は吸血鬼映画の手順をきちんと踏もうとしているのだとわかった。
よくこういう物語を考えることができたと思う。12歳の少年少女の恋愛友情世界と吸血鬼映画を見事に合体させた一本。
ペットボトルのゴミ出しに行った。
自転車で散歩しているときにみつけた。
左はトウモロコシ畑。この畑はなにを作っている畑なのかわからなかった。
もうすぐ選挙。今回は迷う。投票には行くが、今までのような熱気はもうないな。
北野武の映画はけっこういろいろ観ているが、全部、テレビで観たか、ビデオを借りて観たもの。『アウトレイジ』はテレビの予告編一本で映画館に行く気になった。
黒い車が走り過ぎていく、その車を真上からカメラが撮っている、車がちょうど真下に来たときに黒い車の映像がとまる。そして「OUTRAGE」のタイトルが浮かびあがってくる。ここが鮮やかだ。
北野武の映画でいちばん印象にのこっていたのは『あの夏、いちばん静かな海。』だが、『アウトレイジ』は対極にあるような映画。
ヤクザ世界の下っ端のほうから貧乏くじを引いていくようなありさまと、同時にバイオレンスな椅子取りゲームを面白く、グロテスクに描いていく。
巨大暴力団組織のトップから末端の小さな組までからみあいながら映画は動く、この小さな組の組長がビートたけし。
ストーリーだけ、骨組みだけで出来ているような映画だなと思ったが、後半からのびやかな感じがでてきて、こののびやかさに触れたとき観に来てよかったと思った。
観ているとこのやくざ抗争映画は、いまの日本の社会の戯画のようにも思えてくる。北野武監督の世の中への、今の社会の人間の在り方へのリアルで確かな目を感じる。よく見ているんだなと思った。
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