「死という鏡」
きのうの新聞、毎日新聞6月24日の朝刊に載っている連載批評、三輪太郎の「死という鏡」で村上春樹の『1Q84』<BOOK1~3>を扱っていて、いたく感心した。
『1Q84』という村上春樹の長編小説を五つの層からなるものとして読み解いていて、こういう読み方があるんだな、おれには到底できない読み方だな、知識がちがうな、ずっと小説を読んできた人だからできるんだなと思った。
文芸誌というものを読まなくなってしまったので、何がどうなっているのか分からず、三輪太郎という作家・文芸評論家はこの新聞の「死という鏡」<現代小説を読む>という連載批評で初めて知った。
毎週木曜日の朝刊に文芸批評としては広くないスペースで簡潔に、読みやすく、面白く、劇的に、毎回ちがう小説の批評を書いていて、最初から興味をもって読みつづけていた。
というわけで三輪太郎という人は大したもんだなと感心していたら、『「死という鏡」は今回で終わります』という掲示した1行をみつけて、びっくりしてしまった。もっとつづくと思っていた。残念だ。
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