「ひそやかな花園」
毎日新聞の日曜日に連載されている角田光代の「ひそやかな花園」を毎週読んでいたら、土曜日によしもとばななの「もしもし下北沢」の連載が始まった。どちらも1面の3分の2ほどを使っていて、新聞で本格的に小説が読める時代がきたんだなと思ったのを覚えている。
よしもとばななの文章と角田光代の文章は対照的なものといえて、ふくらみと湿りをもつよしもとばななの文体と、思いをふくらませずに歩いていく角田光代の文体。
その角田光代の「ひそやかな花園」の連載が終わった。親たちに連れられて毎年夏、渓谷のような場所に集まっていた子どもたちがいる。大人になっていまはバラバラに生きているが、その夏は「なつかしい時間」として彼らのなかに生きている。この「夏の仲間たち」が自分には出生の秘密がある、しかもあの夏にあつまった子どもら全員に共通している秘密なのだと気づく。生の秘密に向きあった彼らの、スリリングなところのある物語。
よしもとばななの人間への視線があくまであたたかいのに対して角田光代の視線はやさしかったり、きびしかったり、かわいていたり、冷たかったりする。こわい人かもしれない。
荒井良二の画が秀逸。小説とのバランスがよく、画がプラスの働きをしていた。
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