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2010年4月

2010年4月29日 (木)

「ひそやかな花園」

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 毎日新聞の日曜日に連載されている角田光代の「ひそやかな花園」を毎週読んでいたら、土曜日によしもとばななの「もしもし下北沢」の連載が始まった。どちらも1面の3分の2ほどを使っていて、新聞で本格的に小説が読める時代がきたんだなと思ったのを覚えている。

 よしもとばななの文章と角田光代の文章は対照的なものといえて、ふくらみと湿りをもつよしもとばななの文体と、思いをふくらませずに歩いていく角田光代の文体。

 その角田光代の「ひそやかな花園」の連載が終わった。親たちに連れられて毎年夏、渓谷のような場所に集まっていた子どもたちがいる。大人になっていまはバラバラに生きているが、その夏は「なつかしい時間」として彼らのなかに生きている。この「夏の仲間たち」が自分には出生の秘密がある、しかもあの夏にあつまった子どもら全員に共通している秘密なのだと気づく。生の秘密に向きあった彼らの、スリリングなところのある物語。

 よしもとばななの人間への視線があくまであたたかいのに対して角田光代の視線はやさしかったり、きびしかったり、かわいていたり、冷たかったりする。こわい人かもしれない。

 荒井良二の画が秀逸。小説とのバランスがよく、画がプラスの働きをしていた。

2010年4月24日 (土)

街の風景

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 『シャーロック・ホームズ』を観に行ったとき撮ったもの。映画館の隣の建物のバルコニーに少女と鳥の人形があった。面白い。

2010年4月18日 (日)

小林秀雄のゴッホ

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 小林秀雄の『人生について』(中公文庫)という本を読んでいて、「ゴッホ」がいいと思った。

 「私の人生観」「中原中也の思い出」「菊池寛」と読んできて、それほどピンとこないと思ったが、「ゴッホ」はいい。こういう小林秀雄が好きだな。ゴッホという人間についてちょっとずれているところがあるのかもしれないという思いがしたが、ゴッホという人間にたどり着こうとする線の輪郭が強くうねっている。小林秀雄にとってゴッホは衝撃だったのだと思う。ゴッホを待っていた小林秀雄がいるのだ。

 小林秀雄は思いこみを排除しない。思いこみを含んだものを演奏しつつ、形をならしながら、全体として秩序あるものにまでもっていく。それは正しいやり方だと思う。

 自分のすでに感じていることを、先入観や思いこみをとりのぞいてから、対象に向かおうとするのは間違いだ。先入観や思いこみ、あるいは「まちがい」から出発しなければ、意味なんかないのだ。

2010年4月16日 (金)

朝の空

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 雨がすこし降っている。雲だけの空。4月にしては寒い。暖かかったり寒かったり変な天気が続く。

2010年4月 8日 (木)

クリフォード・ブラウン・オール・スターズ

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 この頃はクリフォード・ブラウン・オール・スターズの『ベスト・コースト・ジャズ』というアルバムをよく聴いている。のんびり、なんとなくという感じで聴けるのがいい。

 クリフォード・ブラウンは『スタディ・イン・ブラウン』の軽快で強く熱い演奏が好きだけれど、こういうのもいいと思う。

 

2010年4月 4日 (日)

「大地の子守歌」を観にいく

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 初めから終わりまで主人公のりんを演じる原田美枝子の幼いが荒々しい存在感がオーラを放つ映画。増村保造監督は『刺青』でもそうだったが、女性の力強い生命力を描く。『刺青』にあった人工的なところがこの映画ではなくなっている。

 『大地の子守歌』。監督・増村保造、脚本・白坂依志夫・増村保造、原作・素九鬼子。1976年の映画。

 山で育ったりん(原田美枝子)は祖母と二人暮らし。山菜や山の獣を獲って食べて暮らしている野生児のような13才の少女だ。

 祖母が急死したあと、りんは一人で山暮らしをするが、船乗り相手の色街がある瀬戸内海の島からやってきた女衒の佐吉にだまされて、島の茶屋に売りとばされてしまう。

 負けず嫌いで悪い夢のような運命に引きずりまわされても体の芯の生命力を燃やして立ちむかっていく女性を描くことに増村保造はこだわっている。最初からなのか、あるいはある時期からなのか、まだ分からない。

 望まないまま茶屋で下働きをするりんはまわりのすべてに反抗する。女で初めて娼婦を船まで運ぶ「おちょろ船」の漕ぎ手になって、その強烈な体力でまわりの人間をおどろかせたりするが、娼婦にされてしまう運命はあきらかだ。

 映画は冒頭、四国をお遍路する「今」のりんを映す。お遍路するりんを映画はところどころ挿入して進む。りんは苛酷な体験から半ば失明している。

 大地の子守歌とは人間への絶望に苦しむりんが、大地から呼びかけられる声のことだ。野宿の夜、闇に震え地にうつ伏すりんに祖母の声が、りんを助けた牧師の声が、人々の声が、りんを苦しめた茶屋の主人夫婦の声さえ聞こえてくる。りんの名を呼ぶ。りんの名を強く呼ぶ。くりかえし呼ぶ。力のこもった場面だ。大地の子守歌とはこの声たちのことだと思った。

 

2010年4月 3日 (土)

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 桜が満開だ。

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