「THIS IS IT」
マイケル・ジャクソンの記録映画とでもいえばいいのか、『THIS IS IT』(監督ケニー・オルテガ)を観てきた。公開を予定していなかったリハーサル映像が大部分みたいだけれど、マイケルの急死で、この残された映像を基にして『THIS IS IT』を作ったということらしい。
マイケル・ジャクソンはダンサーでもあったんだなというのが観はじめての印象だった。こんなに身体の動く人がなんで急死してしまったんだろうと思った。
しかし一番の感想というか、驚きは、多くはテレビを通じて植え付けられてるマイケル・ジャクソンという人間のイメージとのギャップだ。全然ちがうものがここにはある。どういうことなんだろう。
マイケル・ジャクソンというのは情報消費社会の玩具にされていたんだなと改めて思わずにいられなかった。テレビのスキャンダルな報道をいやだなと思いながらも暇つぶしのために見ていた自分もふくめて「消費者」というのは恐ろしいものだと思った。
だからぼくのようにマスコミの流した情報をそのまま受け入れていた人間にとってマイケル・ジャクソンのイメージを修正するにはいい映画だった。それにふさわしい映画だった。
この映画のなかにいるのはやがてコンサートに来るであろう人たちのために「非日常の世界」を作りあげようと刻苦するマイケル・ジャクソンという真摯なシンガー・エンターテイナー・ダンサーがいるだけで、これが実像というか、「実物」なんだろう。
マイケルが「抜けた存在」であることもわかったし、かっこよかった。まるでミュージカルの舞台をつくりあげようとしているようなコンサートのリハーサル風景で、すごいコンサートになったんだろうなと思う。マイケルの急死にショックを受けたのは、家族やずっとファンだった人たちはもちろんだろうが、このコンサートを一緒に創りあげようとして、あと一歩でブラックホールに飲みこまれてしまったスタッフ、ダンサー、ミュージシャンたちも相当なショックだったろう。築きあげてきた城が不意に急にくずれ落ち無くなってしまったような気持ちだったろう。
上映期間の終了がちかいということもあるだろうが、平日の昼間で、満員だった。多くの人がマイケル・ジャクソンのイメージを修正する機会がもててよかったと思う。
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