「ヴィヨンの妻」を観る
『ヴィヨンの妻』(根岸吉太郎監督)を観に行った。
チラシでみる松たか子は不幸な人妻にしては表情の骨格というか人格が大きすぎる、立派すぎるようで、この役に合うんだろうかと思ったが、映画が始まってみれば、チラシとは別だった。
美術のいい映像の色合いのいい映画。太宰治をモデルにしたような作家とその妻の物語。
戦後すぐの雰囲気がよく出ているシブい映像と主な登場人物たちの妙に人工的な会話と、美術に感心しながらも、映画がただよっているようで、これは中心軸といったものを持たない映画で、こういうものだと思って観ていればいいのかと思ったが、ほかの女と心中未遂事件を起こして留置場に入れられた作家(浅野忠信)に妻の松たか子が会いにいき、網入りガラスごしに話す場面から切迫感がでてくる。
映画に重りと中心軸が生まれてくる。どこを観ればいいのか分かったような気持ちだ。チラシを観て違和感をもった松たか子の表情が出てくる。映画の流れのなかでは当たり前のものとして観ることができた。「ヴィヨンの妻」はそういう体験をしたのだった。
最後はストップモーションの映像になるのだが、妻が左手で夫の手をつないで「生きてりゃいいのよ」と言ったようなその映像はよい終わりよい映像だった。
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