朝の空
晴れ。寒くなった。
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晴れ。寒くなった。
詩人の奥村真さんが9月末亡くなったらしい。びっくりした。なんとなく親近感をもっていた人だった。
ご冥福をお祈りします。
中本百合枝さんの詩集『蝶であった日』(書肆山田)をよむ。
語りのような詩行が日本語のリズムとぴったり合って、詩というよりも詩歌と呼びたくなる。よんでいてこんなふうにやさしくよめる詩集はひさしぶりだと気づく。
おとなしく静かにみずからの日々をかたる。たいへん心地のよい詩集だ。ときどき出てくる詩のワザはもう要らないのではないかと思う。
よい詩集に出会うと心が満ちる。
『ヴィヨンの妻』(根岸吉太郎監督)を観に行った。
チラシでみる松たか子は不幸な人妻にしては表情の骨格というか人格が大きすぎる、立派すぎるようで、この役に合うんだろうかと思ったが、映画が始まってみれば、チラシとは別だった。
美術のいい映像の色合いのいい映画。太宰治をモデルにしたような作家とその妻の物語。
戦後すぐの雰囲気がよく出ているシブい映像と主な登場人物たちの妙に人工的な会話と、美術に感心しながらも、映画がただよっているようで、これは中心軸といったものを持たない映画で、こういうものだと思って観ていればいいのかと思ったが、ほかの女と心中未遂事件を起こして留置場に入れられた作家(浅野忠信)に妻の松たか子が会いにいき、網入りガラスごしに話す場面から切迫感がでてくる。
映画に重りと中心軸が生まれてくる。どこを観ればいいのか分かったような気持ちだ。チラシを観て違和感をもった松たか子の表情が出てくる。映画の流れのなかでは当たり前のものとして観ることができた。「ヴィヨンの妻」はそういう体験をしたのだった。
最後はストップモーションの映像になるのだが、妻が左手で夫の手をつないで「生きてりゃいいのよ」と言ったようなその映像はよい終わりよい映像だった。
晴れ。
もう朝は寒くなった。
山本周五郎の『さぶ』(新潮文庫)。大きな影響を受けた小説となった。
短歌の雑誌『掌』(掌の会)100号。泉まやの歌が新鮮だった。
「水の匂いだと思っていたのは、木の匂い。あの日とは何かが違っていた」
長田典子さんの個人詩誌『KO.KO.DAYS(ここでいず)』3号に詩「歩く、買う」を寄稿しました。個人詩誌に書かせてもらうのは久しぶりです。
伊藤芳博の詩集『誰もやってこない』(ふたば工房)を読んだ。合わせて3日間で読んだから、ぼくとしてはよく読めている。この夏くらいからかなり詩集を読めるようになった。
『誰もやってこない』は伊藤さんの前向きに倒れているような姿勢が印象的な「強い詩集」だ。
巻頭の「同時多発テロ」は高層ビルに突っ込む飛行機を映すテレビの画像と、伊藤さんの生活の世界を交差させるように描き出し、「同時多発テロ」と伊藤さんの生活を拮抗させ、対抗させているすぐれた一編だ。
ぼくは詩に政治的なことを書くことには反対という考えだ。『誰もやってこない』はほとんどが政治的、社会的な題材を扱った詩の詩集だが、数編をのぞいて違和感をもたなかった。それはこの詩人がみずからの「立場」よりも世界で起こっている出来事に肉薄しようという「こころ」の方を書きえているからだと思う。
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