ベンチ
ぼくの好きなベンチ。
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ぼくの好きなベンチ。
細かい雨が降っている。
晴れ。
完全な曇り。
国立にある画廊「岳」でやっている「齋藤秀男遺作展」に行ってきた。
齋藤秀男はおなじ街に住んでいた画家で、二人で話したということはあんまりなかったが、知人らの集まりの席で顔を合わすことがあれば絵の話をしたり、ぼくが書いている詩の話をすることがあった。
この遺作展で齋藤秀男の絵をまとめて観たが、面白いものだった。誰かの影響はあっただろうが、絵の底に「齋藤秀男」というオリジナルなものを感じることができた。
20点ほどの絵は1970年代、1980年代のもので、1990年代と2000年代のものはなかった。90年代に齋藤秀男が絵を描いているところを見ているが、目指したとおりのものは描けなかったのだろうか。
齋藤秀男はある時から絵を描くのをやめた。描かなくなった理由として手の腱鞘炎のことを言っていた。しかしぼくには齋藤秀男は絵を描くことを、表現することを断念した人間というイメージがある。
どういうわけか、あるとき、生の途上で齋藤秀男は表現することを断念した。そのときの齋藤さんのオーラは強烈で、抑制する生の倫理を感じた。生活することを選んだのだ。齋藤秀男は主夫になった。このころの齋藤秀男の姿は美しいものだったといえる。
断念を生きれば、また人は違うものを観てくるのだろう。主夫に専念した時間が過ぎるなかで齋藤秀男はまた絵への関心を持ちだしたようだった。腱鞘炎を治したいと言うことがあったし、画廊で受け付けをしていた奥さんの話によれば、風景なら描けるかもしれないと洩らすこともあったらしい。
動物と人間が混在するような不可思議な油絵を描いていた齋藤秀男の描く風景画というものには興味がある。どんな絵を描いただろう。
齋藤さんは悩んでいた、苦しんでいた。53歳で死んでしまった。しかし作品が残っている。いろんな渦に巻きこまれただろうが、作品は残っている。これは表現をした人間のもつ強味だ。
画廊で冷えた麦茶をごちそうになりながら、奥さんと少し話をした。画廊の中も外も明るかった。硬い質感が心地よかった。齋藤さんの次の個展のときも知らせてほしいとお願いした。それから外に出た。
散歩した道。
夏の木を見る。
都議会議員選挙に行ってきた。
社会とのつながり感が欲しくて、あるいは社会への帰属感が欲しくて、ある時期から猛烈に、必ず、すべての選挙に投票してきたが、その「心の時期」もひとサイクル終わったように感じる。
柳田国男の『遠野物語』(集英社文庫)のなかにはいっている「涕泣史談」が面白かった。
「へぇー」とか「なるほど」とか思いながら読んだところがいくつかある。そのなかのひとつをあげておく。
「表現は必ず言語に依(よ)るということ、是は明らかに事実とは反している。殊に日本人は眼の色や顔の動きで、かなり微細な心のうちを、表出する能力を具(そな)えている。誰しもその事実は十二分に経験しておりながら、しかもなお形式的には、言語を表現の唯一手段であるかのごとく、言いもしまた時々は考えようともしている。」
散歩した道。
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