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2009年5月

2009年5月30日 (土)

「彼女について」を読む6(終)

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 悲しい事件が起きたのだ。それを知るための旅だった。夏の雨のふる日、由美子の住んでいた家で悲劇が起きたのだ。わが身にふりかかったことを知るための、思い出すための旅だった。由美子は思い出し、認める。納得し、理解し、受け入れる。空白の扉が一つ一つ開き、思いが走る。すべてがみえる。記憶が体をめぐり、体をゆっくり温める。深い呼吸がやってきた。<すべてが不運だったわけじゃない>。目を閉じ、あたりの静寂を聴く。終わったのだ。

 <わたしはわたしをとりもどす>。すくなくとも自分の歩く道はみつけたといえる。旅は終わった。

2009年5月24日 (日)

「彼女について」を読む5

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 そして由美子と昇一は事件の生き証人に会いに行こうとする。生き残った隈さんという女性は、惨劇をふっきっている。事件のあと、十年という長い歳月をかけ自分で自分を癒す生活をしてきたのだ。彼女は自分を救いだした。考え、感じ、また考え、思い直し、わるい夢をみて、思いだし、考え、否定し、肯定し、感じ、考える。そんな日々を繰り返して、殺されようとした記憶を乗り越えてきたのだ。由美子は何が起きたのか、誰が誰を殺したのか、扉をたたこうとする。思い出し、理解し、納得する。何故自分に記憶がないのかを理解する。由美子は空白を埋める。

2009年5月23日 (土)

「彼女について」を読む4

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 事件の起きた場所へ、それは少女時代に由美子が住んでいた家だった。いまは空き家となっているその家に門を越えて入っていくふたり。鍵は昔のままの場所にあった。壊れた家で由美子はホールを、階段を、部屋をたどりながら記憶を探る。この場所そのものを探る。ここで何人もの人間が殺されているのだ。

2009年5月17日 (日)

「彼女について」を読む3

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 人が殺された。過去のある時、人が殺された。ふたりはその場所に向かっている。由美子と昇一は事件の起きたその場所に向かって旅をしている。闇のなかのトンネルを進んでいくような旅。由美子が記憶を失っている場所への旅。

 強く傷ついた事件に向かって由美子は昇一の力を借りながら進んでいく。何も思いだすことのできない空白の体験への旅。何が起こったのか。どうして由美子の記憶は失われているのか。過去へと向かうトンネルの中で轟音がひびく。

2009年5月16日 (土)

「彼女について」を読む2

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 『彼女について』には物語に向けて歩いていっているという感じがある。ぼくの記憶ではよしもとばななの小説を読んでいてこういう感じをもったことはなかった。物語に向けて、目をまっすぐ前にして歩いているという感じ。

 魔女の娘らしい由美子という若い女がでてくる。その娘が旅をしている。連れがいて、いとこの昇一だ。ふたりの旅。旅の仲間。

 不思議な話ではある。寓話的な小説。生きていくための小説と思った。摩訶不思議な世界にひきずりこまれて、ずいぶん個人的な読み方もした。

 すぐに感じたのは、よしもとばななは小説のなかで、あえて「開き」を少なくして、一行あきを少なくして、「休み」を抑えて、小説そのものに負荷をかけようとしているようにもみえることだ。何故だろう。過去のじぶんの作品の「反」の方向にひかれているということか。

2009年5月 9日 (土)

「彼女について」を読む1

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 正月に田舎にある母の墓参りに行ったとき買ったのが、よしもとばななの『彼女について』と、村上春樹の文庫本『海辺のカフカ』(上)だった。

 『海辺のカフカ』を読むつもりだったが、冬から春にかけて体調をくずした。やすらげるものが欲しかった。それで『彼女について』を読もうと思った。よしもとばななの文章の癒す力に期待したかった。

 よしもとばななの文章には不思議なあたたかさというか、保温性のようなものがあって、足を踏みこんでいっても、足がふわっと包まれるような感じがある。読む者をやすらげる力をもっている。サービス精神だけでこういう文章が書けるわけではないだろう。よしもとばななの資質からくるものが大きいはずだ。

2009年5月 8日 (金)

浅草へ

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 5月5日に浅草に行った。

 落語を聞くために浅草に行ったのだが、向う途中の雷門のカラフルな色彩に引き寄せられて、そのまま仲見世通りを歩く。人がいっぱい。ゆっくりゆっくり歩く。浅草寺にお参りし「天国か極楽かに居る、母がのんびりと暮すことができるように。」、また血縁の人たちとその家族への加護を願った。

 境内で持っていったサンドイッチとせんべいの昼飯をパクつき、落語をやる会場へと向かう。

2009年5月 6日 (水)

名盤

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 ジャズはクリフォード・ブラウンの『スタディ・イン・ブラウン』が「唯一の一枚」だったが、このごろはマイルス・デイビスの『カインド・オブ・ブルー』だ。

 何ともクールとしかいいようがない。熱くも寒くもない温度で「マイルスの認識」が展開していく。

2009年5月 5日 (火)

詩を書く机

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 この机で詩を書いている。いまは散文のほうに関心が過半むいているけれど、長いこと詩を書かずにいると不安感のようなものにかられて、この机にむかう。

2009年5月 4日 (月)

初夏の感じ

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 写真はおととい撮ったもの。道を歩いていて木と葉のみずみずしさに思わず足がとまった。

 写真にとらえることはできなかったが、日の光が葉と葉のあいだに溜まってゆれているようで美しかった。

2009年5月 3日 (日)

喫茶店でよむ小林秀雄

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 近代浪漫派文庫(新学社)の『小林秀雄』を読んでいる。

 「様々なる意匠」「思想と実生活」「西行」「実朝」等、19のまだ全部読んでいないから、はっきりとはいえないが、おもに批評から作ってあるとおもうが、難点は初出の時期を載せていないこと。だから小林秀雄が何歳で、どういう時代状況で書いたものなのか、読んでいて、ピンとは分からないことだ。本全部をひとつの作品として読めるものではないし、どういう編集の考えで、載せていないのか分からない。

 読んでいて、「何でこんなにガイジンの名を引っ張りだしてくるんだ」とか「天才というコトバが好きだなあ」とか思ったりするが、とにかくいまは吸収することに努めている。飽きないし、読んでいて充分に惹かれている。

2009年5月 2日 (土)

パソコンのトラブル

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 晴れ。今日からゴールデンウィーク。休みがつづくと思えば、なんとなく体がうきうきしてくる。

 風呂場にカビがでているので、休みのうちに掃除しようと思う。

 パソコンの電源ボタンの入り切りがわるくなったので、メーカーの窓口相談に電話してみた。症状を話すと、パソコン内に静電気だかが、帯電していてもそういう状態になることがあるというので、指示にしたがって、放電のための作業をしてみるがよくならない。電源ボタンの接触不良という感じがあるのでそのことを告げると、それも考えられるということだった。

 修理だと思い今度はパソコンを買った販売店の修理受付センターに電話してみた。修理しましょうということになったが、引き取りで、最長3週間もありえるということだった。販売店の長期保証というのに入っていたが、無料になるとは限らないともいわれた。3週間というのは長いし、てっきり直しに来るのだと思っていた。それでもう少し様子をみることにして、今回は見送った。

 考えてみればパソコンを渡すとなれば、データのバックアップを取って、パソコン内のデータを消去するべきだろうし、面倒なことになった。

 パソコンを買うときはこういうことはまったく頭になかった。見た目(なじみやすさ)と値段でだいたい決めたが、もうひとつ丈夫なパソコン、故障しにくいパソコンというのを頭にいれておくべきだった。パソコンを渡すとなるとおおごとだから、それを考えてもよかったのだ。 

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