「ポトスライムの舟」の感想
「ポトスライムの舟」を読む。本になったら買ってみようと思っていたが、新聞の『文藝春秋』の広告に大きく載っていたのを見て、ほかにも読めそうなものが載っていることもあって買ってみた。
津村記久子「ポトスライムの舟」。ひじょうにストレートな文章。それがだんだん速くなる。「私」のことを書いた小説。
テレビで芥川賞の報道をみているときの、津村記久子の印象はよかった。それが『文藝春秋』を買った動機のひとつだし、「派遣社員の物語」みたいな宣伝文句にそそられたということもある。
作者は会社で働くことがどういうことかよく知っている人なんだなと思う。会社で働く人間のほとんどが考えるようなことをこの人も考えている。
「語りの文学」ということになるんだろうか、関西弁のしゃべりが延々とつづく。
主人公はナガセという29才の女。契約社員としてある工場に勤めている。5年間無欠勤の女。休むのが怖い女。辞めてしまった前の会社で辛い思いをした女。
物語は展開しない、「ナガセ」のしゃべりが展開していく。「貧乏物語」というよりも「ナガセの物語」だな。何かが起こっているというのではなく、ただ、「ナガセの心」が転がっていく。「セリフ」は一行という場所を取らず、文章のなかに組み込まれることがけっこう多い。
題名につかわれている「ポトスライム」というのは観葉植物のことらしい。初めて聞いた。鉢植えで育てる植物のようで、ナガセは鉢植えだけでなく、コップや瓶の中でも育てている。
読んでいて、関東圏というか、東京圏と関西圏は生活の感覚がちがうんだなあと思ったが、そんなことあるんだろうか。
ナガセの気持ちは追いつめられていて、展望がない。「今日」だけの生活。金にこだわるが、何でこんなに金にこだわるのかナガセ自身も分かっていないところがある。カネの数字がでてくるが、この数字がでてくるとき、ナガセの心のどこかがパッと照らされている。何が照らされているんだろう。
社会に組み込まれたい。完璧に社会に組み込まれたいとナガセは思っている。その思いにいっぱいになっている。しかし無理がある。その無理が体にきて、とまらない咳になったり、体にタトゥーを入れようと思ったり、世界一周の旅行に行くための金を貯めようと考えたりする。
答えがでてくるような、ナガセの歩く道の遠くまで最後はみえるというような小説ではないのだが、完璧に社会に組み込まれたいと思っていたナガセの心は少し、その呪縛が解けたようでもある。読後感というか余韻のようなものはある。
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