「センチメンタルジャーニー」について4
北村太郎は「現実」が苦手なタイプだったのではないかと思う。学校に繰り返し入っていることから、そういう感じを受ける。
東京大学に入る前は、東京外国語学校にいた。商業学校を出た後、就職したがすぐ辞めて、結局東京外国語学校に入っている。
性的に早熟な人だったようで、女のひとに強い親近感をもっていた人だと思う。北村太郎の現実忌避の資質にとってそれは、「現実」と融和することのほうへ、生命力のほうへ引っ張ってくれる貴重な「力」になっていたはずだ。
詩の仲間がもどってくる。鮎川信夫、田村隆一、中桐雅夫らが集まってくる。森川義信は戦死してしまった。
この語りのところ、終戦後の社会の様子を語っているところはとても面白い。北村太郎も生き生きとしている。語るのが面白い時代なんだな。
「荒地」が誕生する。1947年(昭和22年)に創刊。黒田三郎、中桐雅夫らについて語っている。三好豊一郎、加島祥造、衣更着信(きさらぎ・しん)、野田理一、吉本隆明についてもしゃべっている。
そして『荒地の恋』の下地になる恋愛事件のことを語りだす。だいたい小説とおなじのようだ。北村太郎はこう言っている。
「けれど、一度こっちの岸から跳躍して向こうに行く。五十何年おとなしく生きてきた男だけれども、そういうことがあっても構わないんじゃないかという気持ちがあったんです。思ったらそうやるよりしょうがない。」
『荒地の恋』にでてくる「阿子」に類するような女性の話はでてこない。いたとしても言えることではないということかもしれない。ここまででいいような気がする。いたとしても、いなかったとしても。わからないというのもいい。
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