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2009年2月

2009年2月25日 (水)

小林秀雄について

 小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』(新潮文庫)を読み終わる。

 小林秀雄ほど今のぼくに示唆をあたえてくれる批評者はいない。何故なら小林秀雄の書く文章はあくまでも小林秀雄という「私」の書いた文章だからだ。したがって読んでいると必ずぼくの「私」が浮かびあがってくるのだ。

 この文庫本の余白に多くの書き込みをした。ぼくの抱えている問題、苦悩、怒り、憎しみについての考える道筋のヒントをあたえてくれた。晩年の大作という『本居宣長』も「思想家」の書いたものではなく、「理論家」の書いたものでもない、批評者の書いたものであることを願わずにはいられない。そうであるならそこでも多くの示唆を受けとることができると思う。

2009年2月22日 (日)

晴れ、そして村上春樹

 テレビのニュースで村上春樹がエルサレム賞を受賞したときの講演を見ていた。いい印象をもった。まじめでまともな人なんだなと思った。

 イスラエル対パレスチナという政治的思考を外したところに出ていく立場をとったのはさすがだと思った。

 ぼくが村上春樹がイスラエルでエルサレム賞という文学にたいしての賞を受賞するということを知ったのは、ある人が出しているメール版個人誌でだった。イスラエルの政治的な立場をとりあげて、かなり皮肉な見方を村上春樹にたいしてとっていたように思う。こりゃあ、大変だな、村上春樹さんは「なんで、おれに賞なんかくれるんだろう」とぼやいているんじゃないかと思った。それで興味をもって新聞の報道を読んだし、テレビでの受賞スピーチのニュースを観た。

 賞というものはやるといったら、基本的にもらうしかないものだろうし、「この賞をもらうことによって、イスラエルの立場を支持しているのではないかと思われることを心配した」というようなことを率直に言っているのがよかった。心のなかで、それを認めることによって、この受賞にたいして自分はどうするのかという思考がリアルに動いていったんじゃないかと思う。

 そしてそれを観ているぼくは、メール版個人誌に載っていた批評がきわめて政治的な思考であり、それ以外の思考をゆるさないものだと気づいた。

 これから『海辺のカフカ』を読もうという者にとって、村上春樹が、この受賞にたいしてとった態度は、本を読むことのじゃまになるものではなかった。まあ、何のニュースにもならないほうが読みやすくはあるけれど。

  

2009年2月19日 (木)

「永遠さん」を読む3(終)

 『永遠さん』には38編の詩がある。38編の詩を読むのはきつい。何故、詩を読むのかといえば、詩のなかにある言葉の力にひかれているのだと思う。

 詩の行がつぎの詩の行を産む、飛躍の力が好きだ。休みの日の昼に、テレビも点けず、エアコンの運転音が響くなか、黙々と詩を読んでいるのはそれだ。この「飛躍」を体験するために読んでいるのだ。さて、それにしても疲れる。詩ほど、書くにも、読むにもエネルギーを使うものはない。なんにもならない。なんにもならないが、まだ書いて、まだ読んでいる。

 

 わたしは普通に生きたいなって真剣に思うようになっ
  た
 普通って何?
 って聞かれると普通の人なんていないと否定されてし
  まう悲しさをもっているけれど
 普通っていいよね
 努力しなければなかなか普通の人生って送れない
 地道に今日も働いてご飯作って洗濯して台所の床を
  拭いて
 そうやって生きていたら詩人ではなく普通の人になれ
  るかな


                福島敦子「普通の人に」より

2009年2月15日 (日)

「永遠さん」を読む2

 福島さんはゆらいでいる。『永遠さん』のなかの詩編「川べりの温泉」は福島さんらしからぬスタイルと雰囲気の詩で、なんで福島敦子はこんな試みをしているんだろうと思う。こういうことはしなくていいんじゃないか。こんなにゆらぐ必要はないと思う。はっきりと天分をもった詩人だ。

 「フレ、フレ」は生きている詩だといいたい。いまの福島さんの嘘ではないところから言葉が書かれている。言葉が福島さんとちゃんとつながっている。だから緊迫感がでている。

 終わった所から、終わっていないような気持ちの詩を書くと緊迫感がなくなってしまう。「永遠狂い」がそうだ。終わってしまったなら、終わってしまったところから書くのがいいのだと思う。

 そして観念的な生活からはなれた者が持つキツイ視線が生きている詩もある。「詩の信者」がそうで、一度読んで笑い、二回目読んで泣き、三回目また笑った詩だ。(そう言ってみたい詩だ)

 「普通の人に」は福島さんと言葉のつながりが特にいい詩で、感動しつつ読んだ。しかし福島さんがほとんど慣用的につかう詩行が(慣用的になってしまう心で書いた詩行が)最後ちかく一行入っている。何故だ!と思ったが、福島敦子の生の軌跡がよく書かれている詩で、ぼくは強い印象を受ける。

 福島さんはホームページのなかの日記で、観念的な生活から離れた者がもつ視線で、詩を書いているものへの皮肉やチャカシを書いていた。そういう書き込みを長く読んだ。しかし突然詩集を出した。これはよくわからない。わからないが福島さんはあたらしい場所にきたのかもしれない。それはまだこの『永遠さん』には書かれていないものだ。

2009年2月13日 (金)

「永遠さん」を読む1

 福島敦子詩集『永遠さん』(草原詩社)を読む。

 福島さんは個性豊かすぎるというか、乱暴なところも、きついところも、すこし策略的なところもあって、お近づきになりたいという人ではない。しかし『永遠さん』の数編を読んで、この人の詩はぼくに合うと思った。

 リズムも透明感もある。ぼくのようにまったく無防備に書きはじめるのではなく、考えて書いているようでもある。

 「声のない悲鳴は祈りに似て」はいい詩だ。「南の夏の空の青」もいい。福島さんは声の力というものをもっている詩人だ。が、作りすぎている詩がある。何故だろう。

 福島さんは、ある観念的な、あまり一般的ではない生活をした体験をもった人だ。そのことをふりかえるときの眼差しが、福島敦子の詩に独特の力をあたえている。その強い悲しみが、ときどき襲ってくる生の場所を、通り過ぎたところからの詩、詩集と受け取ってよさそうだ。

2009年2月11日 (水)

曇り

 曇り。厚い雲がみえる。

 今、お気に入りはガンズ・アンド・ローゼズ。ユーチューブでよく見ている。昼間はみないが、夜、風呂にはいった後、そろそろ寝る準備をしなきゃな、という時間帯になると見たくなる。

 ビデオ版の「スウィート・チャイルド・オブ・マイン」と「ノッキン・オン・ヘヴンズ・ドア」がいい。それとボーカルの人は若い時はカリスマ的な人だったと思うが、今、年をとって腹が出てきたけど、まったく気にせず、「委細構わず」といった感じで、昔のままやっているのが、すごい。

2009年2月 8日 (日)

晴れ、そして辺見庸

 2月1日、NHK教育テレビのETV特集『作家・辺見庸・しのびよる破局のなかで』を観た。それまではテレビ朝日の『パイレーツ・オブ・カリビアン』を観ていたので、10チャンネルから3チャンネルにもっていくのに、力がいった。いったが、3チャンネルに切り替えた。

 辺見庸ほど、リアルに「今」を語れる人はいないと思った。じつによく見ている。話を聞いていて、恐ろしくなった。日常というものを否定されたように感じる。しかし日常というものは人間の「生きていこうとする志向」が生み出したものだともいえる。

 辺見庸の言うことをそのまま身体的に、全体で、受け入れると、「生きていこうとする力」を失ってしまうように思える。そこで辺見庸はいわば、自分の語っていることにどうやって耐えているのだろうと、テレビの画面のなかの、辺見庸の表情や体の動きを注視した。今のぼくの関心、テーマではそこにいってしまうのだ。そしてみえてきた。辺見庸の「スタイル」がみえた。

 あれから何日か経ったわけだが、辺見庸のテレビの画面のなかの表情が残像のようにのこっている。それは「スタイリッシュで」「陰鬱で」「恥を知っている」「影の中で社会の底をじっと見ている眼」だった。ぼくは日常を選ぶ人間だけれども、しかし、辺見庸の言ったことは、日々の暮らし、テレビ、新聞、インターネットのニュース記事、それらを受けて生きているぼくの、視覚や聴覚の底にあるもの、その破片の集まりの回路をたどると確かに、その「像」その「考え」は浮かびあがってくるのだ。

 正月に田舎に帰ったとき、買ったのが、よしもとばななの『彼女について』と村上春樹の文庫本『海辺のカフカ』(上)だった。『彼女について』は読みだしていたが、新聞に書評が載って、その印象が残っているので、いったん止めて、村上春樹の『海辺のカフカ』を読んでみたい。何か書けることがあるなら、書いてみたい。

 そしてその前に、福島敦子さんの詩集『永遠さん』の批評をやってみたい。

2009年2月 6日 (金)

「センチメンタルジャーニー」について5(終)

 つねに引っ越しを意識していた時期があって、多くの本、雑誌を捨ててしまった。この『センチメンタルジャーニー』には「いいエッセイだ」という思いが残っていて、捨てずにいたが、最初の読後感とは遠いところにいると思う。

 本棚が一杯で、ダイニングキッチン、玄関に本や雑誌を平積みにしている。そのこともあって、本棚にある本をかえたいと思っている。ぼくのなかの「本棚に置いておく本」の考え方を変えたい。

 こんどは藤沢周平の文庫本をざっと並べたい。今ぼくに必要なものを置く場所にしようと思っている。

2009年2月 4日 (水)

「センチメンタルジャーニー」について4

 北村太郎は「現実」が苦手なタイプだったのではないかと思う。学校に繰り返し入っていることから、そういう感じを受ける。

 東京大学に入る前は、東京外国語学校にいた。商業学校を出た後、就職したがすぐ辞めて、結局東京外国語学校に入っている。

 性的に早熟な人だったようで、女のひとに強い親近感をもっていた人だと思う。北村太郎の現実忌避の資質にとってそれは、「現実」と融和することのほうへ、生命力のほうへ引っ張ってくれる貴重な「力」になっていたはずだ。

 詩の仲間がもどってくる。鮎川信夫、田村隆一、中桐雅夫らが集まってくる。森川義信は戦死してしまった。

 この語りのところ、終戦後の社会の様子を語っているところはとても面白い。北村太郎も生き生きとしている。語るのが面白い時代なんだな。

 「荒地」が誕生する。1947年(昭和22年)に創刊。黒田三郎、中桐雅夫らについて語っている。三好豊一郎、加島祥造、衣更着信(きさらぎ・しん)、野田理一、吉本隆明についてもしゃべっている。

 そして『荒地の恋』の下地になる恋愛事件のことを語りだす。だいたい小説とおなじのようだ。北村太郎はこう言っている。

 「けれど、一度こっちの岸から跳躍して向こうに行く。五十何年おとなしく生きてきた男だけれども、そういうことがあっても構わないんじゃないかという気持ちがあったんです。思ったらそうやるよりしょうがない。」

 『荒地の恋』にでてくる「阿子」に類するような女性の話はでてこない。いたとしても言えることではないということかもしれない。ここまででいいような気がする。いたとしても、いなかったとしても。わからないというのもいい。

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