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2009年1月 5日 (月)

「吉本隆明語る」

 NHK教育テレビ・ETV特集『吉本隆明 語る』という番組を観た。観ているあいだ、ぼくは幸せだった。(ただしく言えば講演中の吉本隆明の表情を観ているあいだ)。ビデオに撮ろうとしたが、ビデオデッキの録画能力がもう駄目になっていて、これは集中力を全開させるということを考えれば、この方がよかったと思う。

 足が不自由なようだったが、全く問題なかった。講演時83歳ということを考えれば、かなり丈夫な83歳ということになる。

 娘のよしもとばななさんの公式サイトの日記で、吉本隆明の動静というか、様子をときどき知ることができるが、これは娘さんの書いた父親のことということであって、ウのみにすると間違うというか、日記に書かれる吉本隆明よりも、テレビで「生」で観る吉本隆明ははるかに大きな存在とみえた。

 あまりにも吉本隆明の影響を受けているので、いまは吉本隆明の本は読まないようにしているし、相対化しようということのなかで、ぼくは吉本隆明を矮小化してしまっているところがあるなと思った。

 ぼくが信頼している身体の専門家の生活環境比較論のようなものや、何をされたわけでもないだろうが、吉本隆明を恨み骨髄に思っている詩人の話や、矮小な人間たちの矮小な人間観を聞いていたりしているうちに、ぼくはその影響を受けていた。

 足はダメでも頭と心はちゃんとしているという<からだ>の状態はあるんだなと思った。講演中の吉本隆明の表情を観ていて思ったのは、吉本隆明は「自分でつくりだした生をいきている」ということだった。

 生活イコールではない、体イコールでもない、それにすべて還元されるわけではない、「自分でつくりだした生をいきている」ひとの表情を観ていて、ぼくは幸せだった。こういうふうに人は生きることができるのだと思った。83歳という年齢は介護のよしあし、住居のよしあし、体のよしあしに影響されるだろうが、そのすべてを足しても、いまの吉本隆明という存在が表わされるわけではなく、「自分でつくりだした生をいきている」ことがプラスされて、はじめてこの人の今が語れるというものだ。

 吉本隆明自身、話のうまい人じゃないし、表情を注視していたこともあって、講演の中味、言ったことの内容はあまり分からなかった。ひっかかったのは、「表現すると、表現したことが自然にあたって、はねかえって、じぶんに影響をあたえる。表現するとそのことによって自分は表現した方向へと変化する。自然との関係によってたしかに変化する」ということ、(だいたいこんなこと言っただろうと思う)。ほかは講演が終わって、家に糸井重里が訪ねていって、話を聞いているとき、「1000年前の人間は思ったり、考えたりしたことを表明しようとしたら歌以外にはなく、歌にすべてがこめられたが、いまの人間は歌ひとつということではなく、いろんな関心が存在するから、いろんな知識を得てしまったから、歌ったとしても、こめられる力は1000年前の人間のように単純に強烈に、とはいかない。歌ひとつというわけにはいかない。1000年前のような強い歌はつくれない。歌としては今のほうが落ちる」というようなことで(だいたいこんなこと言っていたと思う)。これらはぼくのアンテナにひっかかった。

 この社会にふつうに流通している言葉で感じ、考えなければ、心・技・体が働いていないのであり、つまりちゃんと考えていないのであり、抽象的な言葉では頭は働いているかもしれないが、それはちゃんと考えていないのだ。というのが今のぼくの考えだが、吉本隆明は例外的に頭で考えることが、心・技・体で考えているような人だった。

 人の言葉で生涯を生きてしまうのはあまりにも悲しく、また吉本隆明というひとは人に影響をあたえやすい言葉をつむぎだせる人だから、今はやはり読まないほうがいいだろうと思う。

 ただ影響から離れたいと思うあまり、矮小化してしまうことなく、その大きさを大きさとして受けいれていたいと思う。

 ぼくの能力(タイプがちがう)や勉強量では吉本隆明の仕事を咀嚼してのみこむことは無理であり、丸飲みということになりやすい。いい距離で、ヒントをもらうように読めるときがくるだろう。そのときまた吉本隆明の書いたものを読んでみたいと思う。

 本だけでなく、糸井重里さんがしゃべりを録音、保管しているようであり、これはいい距離で吉本隆明を「読む」ことの手段になりうるのかもしれないと思った。「聞く」というかたちで吉本隆明の仕事に接するのも面白いだろう。

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2か所、直しました。

「ぼくもその影響を受けていた。」を

「ぼくはその影響を受けていた。」に


「矮小化することなく、」を

「矮小化してしまうことなく、」に

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