「センチメンタルジャーニー」について3
北村太郎が語る。
第二部で、最初に目がとまるのは、北村太郎が「水も洩らさぬ体制が昭和十七、八年くらいにはできていたわけです。」と語る戦争時の日本の社会の窮屈さをしゃべっているところだ。怒気に満ちている。歩いていて急にごつごつした道に出たような感じだ。
1944年(昭和19年)、北村太郎は海軍予備生徒教育隊に入る。そこを出て通信学校で暗号解読の勉強をする。そして通信隊に配属される。北村太郎は戦争に行った時のことと、戦争をしている時の日本の社会のことを思いっ切りしゃべっている。ぼくなんかには太平洋戦争というものの貴重な記録になる。
1945年(昭和20年)、戦争が終わる。北村太郎は「敗戦」という言い方にこだわる人もいるけれど、そのことは分かるけれども、自分は「終戦」に近いような受けとめ方だったと言っている。このときぼくは「敗戦」という言い方にこだわる吉本隆明を思いだしているのだが、北村太郎のような「戦争が終わった」という感じ方もなるほどなと思う。
戦後の混乱時、北村太郎は東京大学に入学する。大学に籍を置きながら、古道具屋、通信社のニュースの翻訳、保険の外交員といった仕事をしている。19歳で結婚した北村太郎は、戦争が終わった時には、もう妻と子どもがいたのだ。
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