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2009年1月19日 (月)

「センチメンタルジャーニー」について2

 『センチメンタルジャーニー』、1939年(昭和14年)頃の北村太郎までくる。16歳から17歳。日中戦争はすでに始まっており、戦争の影が濃くなってきている。影の濃淡はあるが、そのことから誰も自由ではいられない。自由ではいられないが、少年の北村太郎は軽々と生きてもいる。

 北村太郎の家は浅草でそば屋を営んでおり、その繁盛ぶりが書かれている。ちかくに浅草花月劇場なんかがあって、芸人の益田喜頓(ますだ・きいとん)、坊屋三郎、山茶花究(さざんか・きゅう)らがよく食べにきたらしい。

 詩の仲間の中桐雅夫、鮎川信夫、田村隆一らのことも、気がねなく、自由に書いている。

 印象的なのは、すこし年長だった中桐雅夫と鮎川信夫に徴兵の問題がふりかかってきていることだ。中桐雅夫、鮎川信夫にとってはリアルというほかない問題だったろう。

 ぼくの好きな森川義信の詩「勾配」が紹介されている。いま読んでも胸がくるしくなるような、迫ってくる緊張感がある。全18行の詩だ。徴兵ということの、壁が向こうからじりっじりっと近づいてくるような圧迫感から書かれた詩なんだろうか。

 そしてこの詩の凄さを、周囲にいたものたちが、田村隆一も鮎川信夫も北村太郎もすぐに分かっている。詩が生きている。

 この森川義信に関する記述のところで北村太郎の文章は終わる。1992年10月26日、北村太郎は死んでしまったからだ。『センチメンタルジャーニー』は中断してしまった。ここまでを第一部として、あとは北村太郎が生前にテープで残したものを、第二部として収めているようだ。(第一部も、もともとはテープにとったものを基にして北村太郎が文章に書き直したもので、第二部はそれができなくなったということらしい)。いちど読んだはずだが、見事に覚えていない。

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1か所直しました。

2行目の
「北村太郎。」を
「北村太郎までくる。」に

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