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2008年11月 2日 (日)

「サウスポイント」を読む

 『哀しい予感』、『アルゼンチンババア』、『体は全部知っている』とよしもとばななの小説を読んできた。いちばん新しい小説『サウスポイント』で、散文修行よしもとばなな篇を区切りとしたい。

 まず書店のカバーを取り、帯を外す、サンダルばきの足を撮っている装丁。ざらざらとした紙。縦にサウスポイントの文字。

 夜逃げをする母と子の場面から物語は始まる。星の出ている夜、母と子は群馬へと逃げる。亭主の借金のため夜逃げをするのだ。「テトラ」という変わった名の女の子。「テトラ」という変わった名の女というべきか。この「テトラ」が主人公のようだ。「母」や「父」とは呼ばない。「ママ」、「パパ」という書き方をしている。

 あっさりと簡単に、しかし物語の背景になるあらすじを的確に説明するよしもとばななの手ぎわ。彼女の小説のなかには必要な部分であり、読者にとってはよくなじんでいる部分でもある。

 のんびりした、おっとりしたところのある文章は変わらない。前、柳田国男の『日本の昔話』という文庫本を読んでいるとき、よしもとばななと何んか似ているなあと思ったけれど、民話的な文章と呼べるのかもしれない。

 長編だ。『体は全部知っている』は長かったが、短編を集めたものだった。ぼくは初めてよしもとばななの長い小説を読むことになる。

 テトラは珠彦(たまひこ)くんと出会う。テトラは12歳になった。珠彦くんは通っている小学校の同級生だった。テトラはじぶんだけの道を歩くような日々から、じぶんと通いあうものを持つ珠彦くんをみつけたのだ。卓球好きで、地味で色の白い男の子だ。

 中学生になったテトラと珠彦くんの恋。初めての性体験と別れがひとつに重なる場面は緊張感があって、うつくしい。やはりこういうよしもとばななに惹かれる。

 よしもとばななは「濃い」ものに惹かれる人じゃないかと思う。40代のしっかりした、決して無防備な人ではないだろうが、「濃い」ものに惹かれて、そこに「本当のこと」があると思っているんじゃないか。

 この小説では章をつくって、物語に区切りをいれていない。一行開けたままの区切りしかつくっていない。物語のなかの空気のながれが、今までぼくが読んできたよしもとばななの小説とかなりちがっている。粘っこくなっている。いつからなのか、この小説からなのか、ずっとよしもとばななの小説を読んできたわけではないので分からない。分からないが、当然、よく考えて決めていることだろう。

 10数年が経つ。珠彦くんの弟、幸彦が登場する。そしてハワイという場所が登場する。よしもとばななはハワイという島を特別な場所として書く。

 幸彦がじつは死んでいて、珠彦くんが幸彦に成り替わっていたとハワイの果てサウスポイントで知るテトラ。物語の中心が珠彦くんの弟、幸彦の死になり、幸彦の死のまわりを人たちがグルグルとまわる。テトラ、珠彦くん、珠彦くんのお母さん、珠彦くんのお父さん、テトラのママ、死んだ幸彦の恋人、幸彦と恋人の思い出のベンチ、南の風、南の光が舞台をぐるぐると回る。

 幸彦の恋人マリコとテトラが初めて出会い、会話する場面は魅力的だ。時間がざわつくようだ。

 ハワイで生きようとする珠彦くん。そこには珠彦くんのお母さんとお父さんがいて、彼の友達がいて、古い街がみえて、市場がある。光と風がある。新しい土地ハワイにテトラも入っていく、そこで居場所をみつけようとするのだ。

 この小説で初めからよしもとばななが書いているのは「生きる」ということだと思う。「生きる」ということについてずっと書いている。このことからよしもとばななは離れない。

 よしもとばななは吉本隆明の娘としてまずあった。ぼくにとってはそうだった。よしもとばななの小説を読みだしたことのなかには、吉本隆明のあまりにも大きな影響をときほぐしたいという無意識のモチーフがあったかもしれない。

 会ったこともない他人なのに、父と母に次ぐような大きな影響を受けた人だった。この影響をときほぐしたいというのはぼくの長い間の生のテーマだった。

 本のなかに、3分の2くらいの所にハワイの写真が載っている。林に囲まれた土の道。海、雲、色の付いている花、茂み、茂みの枝と犬。犬のつややかな黒い毛。

 読みつづけて、受け取るものはやはりあたたかさ、肯定感だ。よしもとばななは多くの人に向けて書き(とぼくには思える)、多くの人にこの肯定感を伝えようとしている。直接的にではなく、直接的なものは物語の奥に潜ませて、物語を読むその触感で伝えようとしている。

 よしもとばななの小説にはひんぱんに「死」がでてくる。しかしよしもとばななの書く死はこわくない。不安感や抵抗感を与えない。そういうふうに書いているのだ。これはよしもとばななの小説のもつ力だと思っている。

 最後、広がる場所に向かってカメラがどんどん近づいていく、真っ青な空のなかのテトラと珠彦くん。二人だけだ。カメラは広がる場所、真っ青な空にどんどん近づいていく、が終わりにテトラの思いを映す。現実的なテトラの思いを映す。これはよしもとばななの変化なんだろうと思った。よしもとばなながそうなったからなのか、読者のためなのか分からないが、よしもとばななはここで選んでいるものがある。風景を小さくすることを選んでいる。いま「生きる」ということで彼女の考えていることなのだろうと思った。

 

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