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2008年11月

2008年11月30日 (日)

写真を観にいく

 11月27日、新宿に永沼敦子写真展を観にいった。

 タイトルは「虹の上の森」。

 印象は遠近感をほとんど感じさせないこと。「場面」を切り取っているというか、抜き取っていること。「意味」というものが写真を観ていても浮かびあがってこないこと。

 永沼敦子のウェブサイトにある写真を毎日のように観ているが、それは何かにひかれていることにはまちがいなく、それは写真の美しさ、切り取っている場面の鮮やかさというものにひかれているのだと思うが、毎日の生活のなかでは小さなインパクトをもっていることなのだ。

 新宿ニコンサロンで観る永沼敦子の写真はウェブサイトで観るものと基本的に同じであり、この空間のなかではパソコンのなかで観ていた美しさ、鮮やかさはあまり感じない。感じるのは写真が「意味」をもっていないこと、もとうとしていないことだ。これはとても面白く、どういうことなんだろうなと思った。

 空を切り取っている数枚の写真をながめながら、「永沼敦子にとって写真を撮るとはどういう行為なんだろう」という思いがわきあがってきた。しばらく写真をながめつづけた。空の映る写真をみながら考えた。しかしここまでにしておこうと思った。行為の意味を考えることは、写真をみるということの体験をそいでしまう。

 なにかを観たいと思い、そのなかに衝動のようなものがあったら、動くことにしており、今回は写真だった。新宿の西口はビルばっかりで無機質な感じがしてなじめない。しかし余計なものがないぶん、写真を観るにはいいのかもしれない。

2008年11月27日 (木)

曇り

 曇り。寒い一日になりそうだ。最高予想気温は10℃。

 

 『荒地の恋』。そうだなあ、パワーをもらえるかもしれないな。

 北村太郎は女房と娘のいる家をすて、恋人の待つアパートへ行くため駅にむかって歩いていく。この場面は開放感がある。開放感がないとパワーをもらうことができない。この恋人というのが荒地同人だった田村隆一の奥さん。話はけっこう暗い。最初のころは泥の中を歩いていくような印象だった。

 ノンフィクションの小説。北村太郎も田村隆一も実在の詩人。作者のねじめ正一さんは相当の覚悟で書きだしたんだろうな。

2008年11月24日 (月)

晴れ

 晴れ。しかし雲がふえてきた。

 『荒地の恋』。ぼくの知っている詩人たちは、用心深い、とびらを開けることのまずないひとが多いが、この『荒地の恋』にでてくる北村太郎と鮎川信夫の関係はちがう風が吹いている。開放感があっていい。68ページまでを読んだところの感想だが。

2008年11月23日 (日)

雲が多いが晴れそうだ

 雲が多いが晴れそうな空だ。

 11月19日(水)の「きのうの新聞2」は削除しました。

 午前中に掲載したんですが、夜読み返してみて、充分な文章になっていないと思い、削除しました。

 

 ねじめ正一『荒地の恋』。これまたヘヴィな小説になりそうだな。ねじめ正一の文章はリズムで書く文章じゃないな。おれはこういうのを読んでも元気にならない。これなら何もないほうがいい。古い友人がこの小説を読んで「力」を感じたとしたら、よほど仕事に疲れているということだな。

2008年11月18日 (火)

「荒地の恋」

 早川義夫のライブに一緒にいった古い友人がくれたのがねじめ正一の『荒地の恋』。

 「女の方はどうだい」
 「なんにもないよ。」
 「自制するな。これを読め」

 といって渡してくれたのが『荒地の恋』。これを読めばその気になるんだろうか。何はともあれ古い友人はありがたい。これから読みます。時間がかかるけど。

2008年11月16日 (日)

「レッドクリフ」

 映画館のホームページをみて、どれが一番楽しめそうかとながめていて、これだと思った。これとは赤壁の戦い、『レッドクリフ』。

 三国志の劉備と曹操の戦いのハイライト、赤壁の戦いに材を取った映画。

 大型テレビドラマみたいだなあと思いながら観ていたが(実際そういうところは最後まである)、戦闘シーンが始まると引き込まれた。

 監督のジョン・ウーは俳優の細部の演技などには興味がないようで、戦闘場面のエキストラの演じる兵士たちの緊迫感のなさ、中国の時代劇に当たるだろう映画なのに、現代劇風の演技をする俳優もいて、しらけるところもあるが、アクション戦争映画としてはかなり面白い映画だ。

 ジョン・ウー監督は何よりもアクションシーンに関心があるようで実際よくできている。物語性のある戦闘場面とでもいうものを作っている。2時間半ほどの上映時間がはやく過ぎた。最後にパート2の予告編がでてくる。観たのはパート1。パート2がある。

 俳優のなかでは諸葛孔明を演じる金城武と孫権を演じるチャン・チェンが好演している。

2008年11月14日 (金)

「ドストエフスキイの生活」2

 新潮文庫の小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』の途中までを読んで、この評論が戦後書かれたものではないことが分かってびっくり。江藤淳の書いている解説では昭和14年に単行本が創元社から出版されている。文庫本の発行が昭和39年だったので、それよりせいぜい4,5年前くらいだろうと思い、またそういう文章だと思ったんだが、早とちりだった。

2008年11月13日 (木)

きのうの新聞

 きのうの毎日新聞の朝刊「悼む」の欄に載っていた藤原章生記者の筑紫哲也さん追悼記事はいい文章だった。

 「NEWS23」はずっと見ていて筑紫哲也さんという人はマスコミの一員であると割り切って仕事をしているという印象もあったが、キャスターが代わってみると筑紫哲也という個性が番組の大きな柱の一つだったことがよく分かる。

 三年まえに母が死んだ。それを合図のようにして、知人、友人、親類のおじいさん、親類が死んだ。

 武蔵野赤十字病院に入院している友人を見舞いにいったときはつらかった。きびしい闘病生活をあらわして友人の体の一部が変形しており強いショックを受けた。

 二人で病室にずっといると、こちらの体にも歪みが生じてくるようだった。「また、こいよ。」と友人はいい、「ああ、また来るよ。」とぼくは答えたが、ぼくはもう見舞いに行くことができなかった。このときから「死がダメになった」。

 そのあと大阪の親類のおじいさんの葬式に出ることになったが、このときは完全に腰がひけており、死に顔をみないですむ位置を選びつづけた。出棺のまえ花を投げ入れざるえなくなって、おそるおそる死に顔をのぞいたが、苦しんで死んだ顔ではなかった。心の底からほっとした。年を充分にとって死んだひとの顔は人に不安感をあたえない。母の死顔もそうだった。

 いまでも「死」は苦手で、ぼくのすきな歌い手の早川義夫さんの伴奏者で、病死したバイオリニストのHONZI(ホンジ)さんの遺作ともいえるCDが出ているが、ぼくは買うことができない。彼女が小さなライブハウスで歌った「みんな夢の中」の歌をまだ覚えているが、聴く気になれない。

 これは身体の本能からくるサインであり、こういう声にはしたがったほうがいいのだと今は考えている。

 というわけでこの「悼む」の記事はあんまり読まなかったけれど、筑紫哲也さん追悼の文章は二回読んだ。

 記者が記者本人の思いをつづることよりも死んだ人に語らせているのがいい。実際いいこと言っている。 

2008年11月11日 (火)

ジャズのライブに行く

 11月7日の夜に沖至(おき・いたる)、早坂紗知、永田利樹のライブを聴きに行った。ストレスが溜まったなあと思ったので、スカッとさせようと思った。結果からいえば上手くくつろぐことができたと思う。

 場所は街の中のライブハウス。自転車を林のなかにあるような自転車置き場に置いてすこし歩く。途中で本屋に入って来年の手帳を買う。街は冷えて寒い。ところどころ深い闇がある。

 沖至の生演奏は初めてだ。おもしろい。フリージャズということだったが、難解さは感じない。よく分かった。それはひとつには指の動きをずっとみていたからだ。音の動きのなかにある段取り、順序、どう持っていこうとしているのかの気持ちがよく分かった。腹の動き、ひざの動き、全体の動き、とくに指の動きをずっと追っていると沖至の音楽がよく分かると思った。CDだけを聴いていたならこんなにピンとこなかったはずだ。

 前半部、沖至(トランペット)、早坂紗知(サックス)、永田利樹(ベース)の三つの音が調和したとき、一瞬止まるようにつながったとき、幸福感を感じた。

 10時半、冷えた街を帰る。  

2008年11月 9日 (日)

「ドストエフスキイの生活」

 小林秀雄の『ドストエフスキイの生活』を読んでいる。面白い。しかし小林秀雄を読みつづけて初めて「ゆるみ」を感じた本でもある。

 戦前、戦中、戦後と来て小林秀雄のなかで戦争というものが終わったのか、または年齢のせいなのか、分からないのだが。

 しかし面白い評論、伝記であることは確かで、夢中になって読める。エンターテイメントとしても読めるのだ。

2008年11月 2日 (日)

「サウスポイント」を読む

 『哀しい予感』、『アルゼンチンババア』、『体は全部知っている』とよしもとばななの小説を読んできた。いちばん新しい小説『サウスポイント』で、散文修行よしもとばなな篇を区切りとしたい。

 まず書店のカバーを取り、帯を外す、サンダルばきの足を撮っている装丁。ざらざらとした紙。縦にサウスポイントの文字。

 夜逃げをする母と子の場面から物語は始まる。星の出ている夜、母と子は群馬へと逃げる。亭主の借金のため夜逃げをするのだ。「テトラ」という変わった名の女の子。「テトラ」という変わった名の女というべきか。この「テトラ」が主人公のようだ。「母」や「父」とは呼ばない。「ママ」、「パパ」という書き方をしている。

 あっさりと簡単に、しかし物語の背景になるあらすじを的確に説明するよしもとばななの手ぎわ。彼女の小説のなかには必要な部分であり、読者にとってはよくなじんでいる部分でもある。

 のんびりした、おっとりしたところのある文章は変わらない。前、柳田国男の『日本の昔話』という文庫本を読んでいるとき、よしもとばななと何んか似ているなあと思ったけれど、民話的な文章と呼べるのかもしれない。

 長編だ。『体は全部知っている』は長かったが、短編を集めたものだった。ぼくは初めてよしもとばななの長い小説を読むことになる。

 テトラは珠彦(たまひこ)くんと出会う。テトラは12歳になった。珠彦くんは通っている小学校の同級生だった。テトラはじぶんだけの道を歩くような日々から、じぶんと通いあうものを持つ珠彦くんをみつけたのだ。卓球好きで、地味で色の白い男の子だ。

 中学生になったテトラと珠彦くんの恋。初めての性体験と別れがひとつに重なる場面は緊張感があって、うつくしい。やはりこういうよしもとばななに惹かれる。

 よしもとばななは「濃い」ものに惹かれる人じゃないかと思う。40代のしっかりした、決して無防備な人ではないだろうが、「濃い」ものに惹かれて、そこに「本当のこと」があると思っているんじゃないか。

 この小説では章をつくって、物語に区切りをいれていない。一行開けたままの区切りしかつくっていない。物語のなかの空気のながれが、今までぼくが読んできたよしもとばななの小説とかなりちがっている。粘っこくなっている。いつからなのか、この小説からなのか、ずっとよしもとばななの小説を読んできたわけではないので分からない。分からないが、当然、よく考えて決めていることだろう。

 10数年が経つ。珠彦くんの弟、幸彦が登場する。そしてハワイという場所が登場する。よしもとばななはハワイという島を特別な場所として書く。

 幸彦がじつは死んでいて、珠彦くんが幸彦に成り替わっていたとハワイの果てサウスポイントで知るテトラ。物語の中心が珠彦くんの弟、幸彦の死になり、幸彦の死のまわりを人たちがグルグルとまわる。テトラ、珠彦くん、珠彦くんのお母さん、珠彦くんのお父さん、テトラのママ、死んだ幸彦の恋人、幸彦と恋人の思い出のベンチ、南の風、南の光が舞台をぐるぐると回る。

 幸彦の恋人マリコとテトラが初めて出会い、会話する場面は魅力的だ。時間がざわつくようだ。

 ハワイで生きようとする珠彦くん。そこには珠彦くんのお母さんとお父さんがいて、彼の友達がいて、古い街がみえて、市場がある。光と風がある。新しい土地ハワイにテトラも入っていく、そこで居場所をみつけようとするのだ。

 この小説で初めからよしもとばななが書いているのは「生きる」ということだと思う。「生きる」ということについてずっと書いている。このことからよしもとばななは離れない。

 よしもとばななは吉本隆明の娘としてまずあった。ぼくにとってはそうだった。よしもとばななの小説を読みだしたことのなかには、吉本隆明のあまりにも大きな影響をときほぐしたいという無意識のモチーフがあったかもしれない。

 会ったこともない他人なのに、父と母に次ぐような大きな影響を受けた人だった。この影響をときほぐしたいというのはぼくの長い間の生のテーマだった。

 本のなかに、3分の2くらいの所にハワイの写真が載っている。林に囲まれた土の道。海、雲、色の付いている花、茂み、茂みの枝と犬。犬のつややかな黒い毛。

 読みつづけて、受け取るものはやはりあたたかさ、肯定感だ。よしもとばななは多くの人に向けて書き(とぼくには思える)、多くの人にこの肯定感を伝えようとしている。直接的にではなく、直接的なものは物語の奥に潜ませて、物語を読むその触感で伝えようとしている。

 よしもとばななの小説にはひんぱんに「死」がでてくる。しかしよしもとばななの書く死はこわくない。不安感や抵抗感を与えない。そういうふうに書いているのだ。これはよしもとばななの小説のもつ力だと思っている。

 最後、広がる場所に向かってカメラがどんどん近づいていく、真っ青な空のなかのテトラと珠彦くん。二人だけだ。カメラは広がる場所、真っ青な空にどんどん近づいていく、が終わりにテトラの思いを映す。現実的なテトラの思いを映す。これはよしもとばななの変化なんだろうと思った。よしもとばなながそうなったからなのか、読者のためなのか分からないが、よしもとばななはここで選んでいるものがある。風景を小さくすることを選んでいる。いま「生きる」ということで彼女の考えていることなのだろうと思った。

 

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