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2008年10月13日 (月)

曇り

 曇り。いちめんの雲。

 小林秀雄を読みだしてから、初めて吉本隆明を相対化することができた。小林秀雄の文庫本の3冊目か4冊目を読んでいるとき、吉本隆明もまた日本の文学の、日本の文芸批評の、ながれの中に組み込めることができる人なのだと考えたときに、長い呪縛が解けたように思う。

 吉本隆明は会ったこともない他人なのに、父と母に次いで影響を受けた人だった。こういうことは変なことなのだと思うようになった。人は、人のカラダと心はまちがいなく、ひとりひとり違う。影響を受けるのはいいが、あまりにも長く、大きなものだとすれば、不健康だと考えるべきだ。

 吉本隆明の影響をときほぐしたいというのはぼくの生の長いあいだのテーマだった。よしもとばななの小説を読みだしたということのなかには(よしもとばななは吉本隆明の娘である)、吉本隆明の影響をときほぐしたいという「無意識の魂胆」があったかもしれない。

 じぶんの考えがどんなに小さなものであれ、俗なものであるとしても、そう思えたとしても、それが軸になり、たたき台になる。それがスタートになるしかない。じぶんの「考え」はオリジナルなものであるしかない。ぼくにはこの部分が欠けていたと思う。

 小林秀雄の本を手にしたのはまったくの偶然だった。面白いものだと思う。以前、小林秀雄の本を読んだときは何も感じなかった。いま読んでいるとビンビンくる。すごいと思う。こう読めるには今という時が、これまでの時間というものが必要だったのだ。

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