「サウスポイント」まで
『体は全部知っている』を読んで、この短編集のことを書いてみようといろいろ考えているうちによしもとばななの小説は「鉱脈」になりうると思った。
『哀しい予感』、『アルゼンチンババア』、『体は全部知っている』と読んできたが、よしもとばななは今の日本の社会、家族、個人のかかえる問題を極端な形で物語化し、象徴とし、まるでおとぎ話のような「現代の民話」を書いているともいえる。
ちょうど吉祥寺のブック・オフで買った柳田国男の『日本の昔話』を、こっちは喫茶店で読むために買ったのだが、読んでいて似たところがあると思った。
今の社会で、家族や個人におとずれる問題を、その立場を、よしもとばななは極端化し、開き、まとめ、「類型的な物語」にしようとしており、小説のなかにふくまれている、ある種「類型的な書き方」とも読める文章はここからきていると思う。
よしもとばななの最新作の『サウスポイント』は、これまでのような「現代の民話」を書いているのかどうか、ぼくの関心はまずそこにあった。
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