2018年7月21日 (土)

ヘーゲル「哲学史講義Ⅳ」についてのメモ  その4

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 「思考というものは、単一の、一般的な力として、自己同一の世界を保とうとするもので、だから、特定のものを破棄して自己同一をなりたたせるための、否定的な運動を本質とします。自己の自立性を確立しようとするこの運動は、思考そのものの本質をなす要素ですが、」

 いちばん重んじるべきことは「解く」ことではなく、そこを「生きる」ことだ。究極の価値は、目的は、「解く」ことではない。

2018年7月19日 (木)

ヘーゲル「哲学史講義Ⅳ」についてのメモ  その3

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 ヘーゲルがぼやいている。

 「現実の客観的世界が理性的になっただけに、外部からくる強制力は際限なく大きくなり、個人の人格や生活はどうでもよくなる。哲学者は、外的な世間づき合いを避け、世俗的な仕事や労苦を投げだして、哲学者として生きるべきだという人がいるが、さまざまな欲求がからみあい、とくに教養の質が複雑化している時代にあって、個人の力量など高が知れていて、なにをするにも他人と協力するほかありません。だからこそ、外的事情にかかわりつつ生きていくことが必要で、しかも、その外的事情はわたしの思惑とは無関係に進行していく。そのなかに自己や自己の性格を投入するわけにもいかないし、そこで自分独自の生きかたを示すわけにもいかず、しかも、社会生活のうちにみずから一定の位置をつくりあげねばなりません。」

 当然のことだろうけど、ソクラテスが生きた古代とヘーゲルの時代では大きく社会のかたちそのものが変わっているのだ。今の、現代の社会とはもっと大きく変わっているわけで、吉本隆明が最後は今の時代の人間たちに絶望し切って、古代の人間を語り出したという印象をもったが、そういうことなんだろう。

2018年7月18日 (水)

ヘーゲル「哲学史講義Ⅳ」についてのメモ  その2

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 スピノザの哲学というのはヨーロッパのもの、キリスト教徒のものだと強く思わされるな。哲学の展開のなかに神の存在が必要不可欠なものとしてあって、入りこめるもんじゃない。

 この『4』、つまり『Ⅳ』でヘーゲルの『哲学史講義』もついに終わりを迎える。

 これからニュートンやカントが出てくる。かれらはどんな哲学を展開しているんだろう。 

2018年7月16日 (月)

ヘーゲル「哲学史講義Ⅳ」についてのメモ  その1

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 ヘーゲルも時代によって、社会の移り変わりによって人間の在り方は変わるという考えだ。

 「すぐ目につくのが、今日の生活状況も古代の哲学者たちのそれとはいまやまったくちがっていることです。古代の哲学者たちはそれぞれが独立の個人だった。哲学者は自分の教えに従って生き、世間を軽蔑し、世間に交わることなく生きることが要求された。古代人はそれを実行しました。古代では個々人が哲学者として一つの階層をなしていた。個人が哲学者としても生きること、すなわち、内面的な目的や精神的な生活が、外面的な生活状況を決定することが可能でもあり、また実際にそれがおこなわれてもいました。個人はそれほど輪郭のはっきりした存在だった。」

 こうも書いている。

 「近代になると事情は一変します。ここにはもはや哲学者個人は存在せず、哲学者が一つの階層を形成することもない。哲学者たちは全体としてなんらかの活動を通じて世間と交わり、他の人びとといっしょになって国家内での一階層をなす。他に依存し、他と関係する存在です。その生活は市民生活や国家のなかにふくまれ、私人として暮らすことは可能でも、私人としてのありかたが他との関係を断ち切ったものではない。外的な生活状況のつくられかたがちがうからそうなるので、近代にあっては、外的世界は安定した秩序をなし、階層や生活様式がきちんとできあがっています。」

 ヘーゲルは現実をちゃんとみているとおもう。

2018年7月15日 (日)

庭の赤い花

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2018年7月14日 (土)

ジャガイモの収穫

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2018年7月13日 (金)

つげ忠男の「成り行き」を読みかえす

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 つげ忠男の『成り行き』を読みかえしている。

 前にも書いたことがあると思うが、つげ忠男は今の時代をよくわかっている。そして人として、基本的に変わっていないのがいい。

2018年7月12日 (木)

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2018年7月11日 (水)

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2018年7月10日 (火)

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