2009年12月24日 (木)

村野美優の「草地の時間」

20091224_cimg0388

 村野美優(むらの・みゆう)の『草地の時間』(港の人)を読んだ。

 このところリズムのいい、行間に広がりを感じさせる平明な詩を読んできたけれど、村野美優の『草地の時間』はちょっと感じがちがう。平明であるけれど、優しくはあるけれど、切り立ったところがある。背中の線のするどいところがある。ふしぎな影のうすさもある。この「影のうすさ」というのが村野美優の個性だと思う。

 とにかくぼくは仕事が終わったあと、夕食を食べたあと、何日間かこの詩集を熱心に読んだのだ。ふつう仕事が終わったあとは、ひたすらくつろぐことに努めるけれど。 

2009年12月13日 (日)

コミュニティマガジンとこころとからだと

20091210_cimg0387

 『コミュニティマガジン い 』(いの会)創刊号を読む。コミュニティマガジンという名付けに少しそそられた。最初に挙げている「はじめに」がいい。

 人生の基本はニュートラルだとつくづく感じる。常に悲しかったり、苦しかったり、さびしかったりするのはやはり妙なことなのだ。こころはニュートラルな状態をもってこそ、通過してこそ、うまく働くのだと思う。ずっとエンジンがかかりぱっなしというのも、ほんらいはおかしなことなのだ。

 そして人間というものは、人間の自然というものはずっとさびしくも、ずっと悲しくも、ずっと苦しくもないはずだ。体の不調や、経済的な困窮、圧しかかる環境につかまっていない限り、そうはならないはずだ。

 ぼくたちはニュートラルな場所から出ていき、帰ってくる。そしてニュートラルな場所からまたどこかへ出かけていくのだ。こころとからだはそんなふうに働くのだ。そう働いてこそこころとからだは力を強く出しきることができるのだ。

2009年12月10日 (木)

谷崎潤一郎の「文章読本」3

20091204_cimg0383

 谷崎潤一郎の『文章読本』、読み終わった。多くを学んだ一冊。いつかまた読みかえすことになるだろう。

 谷崎潤一郎はあくまで小説家なんだなと強く意識させられるとこと、素の谷崎潤一郎が出すぎているのではないかと思われるとこ以外は強く引きこまれた。

 日本語についていえば、規範を<外>にばかり求める必要はなく、規範はもう一つ、ぼくたち日本人のなかにもあると思った。おびやかされる感じがかなり減ったように思う。

2009年12月 7日 (月)

谷崎潤一郎の「文章読本」2

20091204_cimg0383

 谷崎潤一郎の『文章読本』を読みすすめる。

 これは名著なんだろうな。そういうことになっていると思う。読んでいてエキサイトする。すごいもの読んでいるという感じがする。

 非常にていねいに、わかりやすく、噛んで含めるように書く。言葉というものをこれ以上はないというほどよく知っている人が、読者のほうに、平明な方へ降りてくる。『文章読本』を読む限り、谷崎潤一郎というのはたいした人じゃないかという気がする。 

2009年12月 4日 (金)

谷崎潤一郎の「文章読本」

20091204_cimg0383

 思わぬひろいものかもしれないのが古本屋でなんとなく買った谷崎潤一郎の『文章読本』(中公文庫)。三島由紀夫の『文章読本』はどうにもつまらなかったが、これはいけるかも。

 谷崎潤一郎は気難しいイメージがあるが、これは分かりやすくくだけて書いてある。まだ読みはじめだが。

2009年11月27日 (金)

「THIS IS IT」

20091125_cimg0378

 マイケル・ジャクソンの記録映画とでもいえばいいのか、『THIS IS IT』(監督ケニー・オルテガ)を観てきた。公開を予定していなかったリハーサル映像が大部分みたいだけれど、マイケルの急死で、この残された映像を基にして『THIS IS IT』を作ったということらしい。

 マイケル・ジャクソンはダンサーでもあったんだなというのが観はじめての印象だった。こんなに身体の動く人がなんで急死してしまったんだろうと思った。

 しかし一番の感想というか、驚きは、多くはテレビを通じて植え付けられてるマイケル・ジャクソンという人間のイメージとのギャップだ。全然ちがうものがここにはある。どういうことなんだろう。

 マイケル・ジャクソンというのは情報消費社会の玩具にされていたんだなと改めて思わずにいられなかった。テレビのスキャンダルな報道をいやだなと思いながらも暇つぶしのために見ていた自分もふくめて「消費者」というのは恐ろしいものだと思った。

 だからぼくのようにマスコミの流した情報をそのまま受け入れていた人間にとってマイケル・ジャクソンのイメージを修正するにはいい映画だった。それにふさわしい映画だった。

 この映画のなかにいるのはやがてコンサートに来るであろう人たちのために「非日常の世界」を作りあげようと刻苦するマイケル・ジャクソンという真摯なシンガー・エンターテイナー・ダンサーがいるだけで、これが実像というか、「実物」なんだろう。

 マイケルが「抜けた存在」であることもわかったし、かっこよかった。まるでミュージカルの舞台をつくりあげようとしているようなコンサートのリハーサル風景で、すごいコンサートになったんだろうなと思う。マイケルの急死にショックを受けたのは、家族やずっとファンだった人たちはもちろんだろうが、このコンサートを一緒に創りあげようとして、あと一歩でブラックホールに飲みこまれてしまったスタッフ、ダンサー、ミュージシャンたちも相当なショックだったろう。築きあげてきた城が不意に急にくずれ落ち無くなってしまったような気持ちだったろう。

 上映期間の終了がちかいということもあるだろうが、平日の昼間で、満員だった。多くの人がマイケル・ジャクソンのイメージを修正する機会がもててよかったと思う。

 

2009年11月25日 (水)

年賀状

20091125_cimg0372

 そろそろ年賀はがきを買いにいこうか、と思っていたところに喪中はがきが届いてハッとした。まだ早いんだ。今まで二通喪中はがきが届いていたが、もうこないと思っていた。

 12月にはいってから年賀はがきを買いに行こう。

 今まで年賀状のあいさつは「あけましておめでとうございます」で、これにこだわっていたけれど、来年は「謹賀新年」にするつもり。「今年のコメント」はまだいいのが浮かんでこない。

2009年11月22日 (日)

「アンヴィル!」を観に行く

20091116_cimg0370

 『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』(監督サーシャ・ガバシ)を観に行く。

 ダスティン・ホフマンの「この映画を見るまでヘヴィメタが大嫌いだった。しかしこれは、今まで見たなかでもっとも心が揺さぶられた映画だ!」というコメントが決め手。

 いつも決まった映画館にしか行かないので、ちがう映画館を開拓しようという気持ちもあって吉祥寺の映画館に行く。平日の昼間のため客はすくない。寒々とした感じもある。しかし何回か行ってみよう。

 『アンヴィル!夢を諦めきれない男たち』。ヘヴィメタバンド「アンヴィル」のオリジナルメンバーのリップスとロブの人生模様を撮る。二人を撮ったドキュメンタリー映画。

 「アンヴィル」はカナダのバンド。リップスとロブはほぼ同じ年で、14才のころからバンドを組み、50を過ぎた今もヘヴィメタバンドをつづけている。

 80年代の一時、人気を博したこともあったが、その風もやみ、リップスとロブはそれぞれバイトをしながら音楽活動を続けている。二人の働く職場の映像が生きている。

 苦境が続くふたりだが、コンサートツアーの話が舞い込んできた。場所はヨーロッパだ。こんなことは滅多にない。リップスとロブを入れて4人のアンヴィルのメンバーは張り切ってツアーに出かける。しかし客は入らない。どうにも入らない。話をもってきた女性マネージャーもそんなに有能ってわけじゃない。

 ツアーは失敗だった。ここで反転攻勢しないとどうにもならないと、陽性タイプのヴォーカル兼ギターのリップスが打って出る。姉に資金援助をしてもらい、新しい「アンヴィル」のアルバムを作ろうと試みる。すったもんだのあげくアルバムはでき上がるのだが、そのアルバムを売ってくれる会社が決まっているわけではない。リップスとロブはメジャーな音楽会社をまわるがどこも契約しようとしない。そんなとき日本のプロデューサーからヘヴィメタフェスティバルへの出演を依頼する話が舞い込む。

 場所は変わり、状況は好転する。20数年ぶりの日本、ヘヴィメタフェスティバルの出番は一番最初なのに、会場はすでに満員だった。日本のヘヴィメタファンはアンヴィルの名前を覚えていたのか、二人の細々とした活動を知っていたのか、観客はアンヴィル!と叫んでいる。

 ラストシーン、ほっとして満たされているリップスとロブが渋谷駅周辺を歩いている。二人ともゆったりとした感じだ。調子の出たリップスは「いい曲を作るだけじゃだめなんだ」と言う。それも真実なんだろうと思う。

 撮られる側に寄りそったドキュメンタリー映画。素人ぽい感じだったけど観終わってみるとちゃんと作っている。バックに流れる音楽が抑え気味なのがうれしい。

 この映画を観てもヘヴィメタを好きにはならなかった。しかしふたりの幸運を祈る気持ちには充分なった。

 

 

2009年11月16日 (月)

タイトルがすごい

20091115_cimg0367

 阿賀猥(あが・わい)さんの詩集『転生炸裂馬鹿地獄、割れて砕けて裂けて散るかも』(七月堂)。タイトルにびっくり。詩画集というか、暴言詩集というつくりなんだけど、最初いったい何をおくってきたんだろうと思った。



20091115_cimg0368

 もう一つ面白いというか、詩集には珍しいタイトル、丸米すすむさんの『剥離骨折(はくりこっせつ)』(草原詩社)。2005年の詩集ですが、まだ本棚に置いてあります。

2009年11月15日 (日)

朝の空

20091115_cimg0354

 晴れ。6時ごろの空。

 北野丘は個人誌『榎の木の下で』3号で書いている。

 「科学はものを分けて対象を限定するのが基本的考え方だと彼はいった。言語はたしかに、対象を指し示して限定をするが、そこから常にこぼれるものを救おうとして言葉をさらに続け、ついに到達できないものの前に辿りついて、口をつぐむ運動である。」

 とても美しい。北野丘が思考の断片をつなげたエッセイ「桑実期ー全体性として出現する」のなかで書いているコトバで、美しさに立ち止まった。美しく正確な言語の文学表現にたいする理解だと思う。

«朝の空

無料ブログはココログ